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Windows Live® の検索結果 江戸時代にはやった庶民的な風俗画で、京坂地区の若干の例をのぞくと、主として江戸を中心に発達した。桃山期に流行したいわゆる近世初期風俗画を母胎としていると考えられてきたが、桃山期の作品とは、主題、表現形式、画家のタイプなどあらゆる点で異質であり、むしろ江戸時代固有の美術、文化、社会の特色をあらわしたものと考えられる。 「浮世絵」は1680年(延宝8)前後に、遊里(ゆうり)と芝居町、すなわち浮世に取材して遊女や役者などをえがく絵画につかわれはじめた新造の言葉である。井原西鶴の浮世草子にみられるように、当時は当世風、遊楽的、享楽的などの意味をこめた「浮世」の語をつけた言葉がはやっていた。 この言葉の成立過程がものがたるとおり、浮世絵の主題は、はじめは主として遊楽的な人物画を中心としていた。それらは美人画や役者絵と通称される。また性的な場面をあつかう枕絵(まくらえ)も浮世絵の主要な分野であった。浮世絵界で風景画や花鳥画が盛んにえがかれるようになるのは、19世紀に北斎や広重などが登場するようになってからである。 浮世絵の表現手段としては木版画の比重が大きいところにその特徴がある。当初は墨刷(すみずり)とよばれる白黒版画で、彩色をほどこす場合は、あとから筆でくわえていた。それらは主体となる色味によって、丹絵(たんえ)や紅絵(べにえ)とよばれている。 多色刷版画が考案されるのは1765年(明和2)ごろで、その美しさは錦(にしき)にたとえられて、錦絵とよばれた。版画という手段は、量産によって価格をおさえ、庶民の需要にこたえる目的をもっていたが、同時に版画ならではの独特の表現領域を開発したことも事実である。当時の木版画は、絵師、彫師、刷師の分業制で、それぞれの分野での技術の開発が浮世絵の展開にも重要な影響をおよぼしていた。またこれとならんで、肉筆画とよばれる版画によらない彩色画もえがかれ、専門の絵師も存在していた。 17世紀の菱川師宣は、草創期の浮世絵界に重要な役割をはたした浮世絵の祖ともよぶべき絵師である。以後18世紀半ばぐらいまでが初期浮世絵時代で、鳥居清信、鳥居清倍(きよます)、懐月堂安度(かいげつどうあんど)、宮川長春、奥村政信などの作家がいた。形式面ではまだ安定していないが、後代よりやや大きめの画面に健康的な人物像をおおらかにえがきだした優作も多い。 1765年(明和2)の錦絵の創始は、浮世絵界にとって大きな出来事であった。それ以降が中期で、鈴木春信、勝川春章、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽などを輩出する。画面の大きさもしだいに統一され形式面での整備がすすむいっぽう、人物描写はより複雑になり、個性や心情に肉薄する傑作を多数だした。 後期を代表するのは、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳らで、幕末期の世相を反映して単独の人物画にはやや退廃色もうかがわれるが、読本などの文学作品を絵画化したものにみるべきものが多い。また風景画と花鳥画に新機軸をうちたてた。 明治以降は、小林清親らの活躍がみられるものの、全般的には急激に下火にむかい、多くの作品が海外に流出して印象派(→ 印象主義)やアール・ヌーボーなど西洋近代の芸術運動に大きな影響をあたえた。
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