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項目構成
プロローグ; ラジオの起源と放送の始まり; テレビの発明と放送の始まり; 放送産業の現況; 放送に対する規制; 番組制作; テレビ制作会社; 視聴時間; テレビに対する社会的批判; 世界の放送状況; 放送の未来
1945年から50年代の初めまでがアメリカの番組制作の第3段階で、この時期テレビは爆発的な成長をとげた。初期のテレビは「絵付きラジオ」とみなされ、ラジオから経験者がひきぬかれ、多くの芸人が番組ごとテレビにうつった。 この時期、ラジオは居間から寝室、浴室、車へと場所をかえ、放送内容はポピュラー音楽とディスクジョッキー形式へ方向転換した。ネットワークは存在価値をうしない、地域向けのメディアとなった。1960年代には、FM局の高性能(ハイファイ)ステレオ放送が関心をよび、FMラジオは大いにのびた。 日本でも初期のテレビは多くを先行メディアの手法に依存した。ラジオ人気番組の共用、新聞取材システムや映画ニュースの表現スタイルにならったニュース報道など、種々の先行メディアのソフトを「借り着」してスタートした。 テレビの成長を警戒する映画会社は、1953年、テレビに作品を供給しないという5社協定をむすび、映画スターはテレビ出演ができなかった。テレビは歌舞伎・新派・新劇の俳優、落語家などにたよらざるをえなかった。 テレビのお茶の間進出に対し、ラジオはテレビの未開拓ゾーンである朝・昼・深夜の時間帯に活路をもとめた。1955年に登場したトランジスターラジオは、個人聴取を促進し、これにあわせてラジオは音楽・ニュース・おしゃべりで構成するワイド番組を登場させた。ラジオ東京が57年に開始した「東京ダイヤル」はその代表的番組のひとつである。 1969年「NHKFM」につづき、「FM愛知」が開局、70年には大阪、東京、福岡にFM局が開局し、その収入は75年にはスタート時の4倍になった。
アメリカのテレビの黄金時代である第4段階には、テレビメディアに順応する、新しいスターと番組があらわれはじめた。シチュエーション喜劇「アイ・ラブ・ルーシー」に主演したルシール・ボールとデジ・アルナーズはその典型である。この時期バラエティショーがもっとも人気のある番組で、なかでもエド・サリバン司会の「街の有名人」(日本の放送タイトルは「エド・サリバン・ショー」)は数百万の人々がかならずみる番組となった。サリバンはプレスリーやビートルズのような大衆的人気のあるスターを紹介し、長寿番組にした。もうひとつの主要番組は西部劇で、「ガンスモーク」などは長く放送された。 1950年代の後半にはアクション冒険番組が主要人気番組となった。60年代のテレビ・ネットワークは映画を再編集して放送することを呼び物とし、それにテレビ向けの2時間ドラマとがプライムタイムの主要部分を占めた。 日本では放送設備の改良と演出技術の向上により、テレビ固有の番組制作手法や、テレビ的表現の開拓の動きが、ニュース、ドキュメンタリー、ドラマなどの分野ではじまった。図版や文字パターンを活用した「見せるニュース」手法や、NHKの「日本の素顔」に代表されるドキュメンタリー手法の開拓などである。芸術祭賞をとったラジオ東京(現TBS)のドラマ「私は貝になりたい」(1958)は、導入されたばかりのVTRを利用、生放送とくみあわせて陰影にとんだ映像をつくった。5社協定のため日本映画がつかえなかったので、その対策としてアメリカ製テレビドラマが導入され、1956年にラジオ東京が放送した「カウボーイGメン」を皮切りに、続々とアメリカ物が登場した。「アイ・ラブ・ルーシー」「アンタッチャブル」「ペリイ・メイスン」「ガンスモーク」「サンセット77」などである。 日本のテレビは1960年にカラー放送をはじめ、61~62年に全日放送を編成、63年には衛星中継実験に成功するなどその媒体価値を向上していった。
アメリカのテレビ番組のほとんどがハリウッドの主要スタジオでつくられる。ハリウッドのプロデューサーたちは毎年、ニューヨークのネットワークの重役に新しいテレビ連続物を提案するが、その多くは却下され、大当たりしている俳優かプロデューサーが関係する少数のプランだけがのこり、第2段階の台本書きへすすむ。ネットワークは台本を検討し、パイロット番組になりそうな少数のものにさらにしぼる。この作品を試しに放送し、高視聴率をとると通常の番組編成にだす。標準的な30分番組の制作費は数10万ドルになる。再放送しないかぎり、費用をカバーし、制作者とネットワークに利益をもたらすことはない。 アメリカにくらべ、日本の制作プロダクションの歴史は浅い。1970年、在京局は経営の合理化にせまられ、番組の外注、制作部門の切り離し(子会社化)をおこなった。東京放送(TBS)のバックアップで木下恵介プロ、テレパック、テレビマンユニオンが設立され、フジテレビは制作部門を系列プロダクションとし、テレビ朝日は報道部門を切りはなした。局系プロダクションからスタートしたテレビ制作会社も、70年代から80年代にかけて続々と設立された。82年には全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)が結成され、96年1月現在、加盟社は53社ある。 近年はテレビ局のプロダクションへの依存度がふえ、プロダクション全体のゴールデンタイムの番組制作および制作協力枠は70%をこえている。番組制作費はドラマの60分物で2000万~4000万円、人気俳優を主役に起用すると7000万~8000万円にもなる。1986年の労働者派遣法により、人材派遣会社が放送局や制作会社に演出・技術関係の人材を派遣できるようになった。放送関係の人材派遣会社は社団法人全国放送関連派遣事業協会を結成した。会員は96年現在151社。
標準的アメリカ人のテレビ視聴時間は1日平均で約4時間だが、主婦と高齢者がもっとも視聴時間が長く、10代は平均より約1時間少ない。 日本では1人当たりの視聴時間は1日平均4時間15分である。もっとも長いのは50歳以上の女性で6時間31分、もっとも少ない層は13歳~19歳で、2時間40分である。4~12歳の子供は3時間5分で、平均より1時間10分少ない。
アメリカのニールセンのような市場調査会社は、調査にピープルメーターという装置をつかっている。この機械は4000以上の任意抽出の家庭におかれ、調査会社と回線でむすばれ、何台のテレビがついているか、どのチャンネルをだれがみているか測定できる。また数千の世帯にテレビ日記をつけさせ、だれが番組をみたか測定する。手法がただしければ、全国視聴率を数パーセント以内の誤差で予測できるという。 2種類の視聴率が発表されている。ひとつは世帯視聴率で、特定の番組にチャンネルをあわせている世帯数とテレビ所有世帯数との比率をみる。もうひとつは視聴占有率で、特定の番組をえらんでいる世帯数が、その時間にテレビをつけている世帯数に占める比率をみる。 日本では1960年にアメリカのニールセンが進出、ついで62年にはビデオリサーチが発足、ともに機械式視聴率調査をスタートさせた(その後ニールセンは視聴率調査からは撤退)。ピープルメーターはビデオリサーチが97年に関東地区で、2001年には関西地区で導入、未導入の地区をふくめ、世帯視聴率、視聴占有率のほか、番組平均視聴率、CM平均視聴率、性・年齢別視聴率、視聴者構成比など多くのデータを出している。
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