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項目構成
「人類の誕生」とは、人類の系統が、チンパンジーとボノボの系統と分岐し、現生類人猿の系統から独立した時点をさす。人類が誕生した場所がアフリカ大陸であったことには、疑問の余地がない。200万年前より古い人類化石は、アフリカ以外の地域では発見されていないし、DNA(デオキシリボ核酸)の比較においても、現代人ともっとも近い現生霊長類は、アフリカのチンパンジーとボノボ、ついでゴリラであり、東南アジアのオランウータンとの違いはより大きい(→ 分子系統学:分子時計)。 現生のアフリカの類人猿はチンパンジー、ボノボ、そしてゴリラのみで、分布は中央・西アフリカの狭い地域にかぎられている。一方、2500万~1300万年前のアフリカでは森林が広がり、いくつもの種類の類人猿が、広い範囲に分布していた。これらの類人猿の化石は、数多く発見されているが、その中のどの種が人類とむすびつくのかはわかっていない。 人類誕生の年代について正確なところはわかっていないが、現在では、おおよそ700万~600万年前の間であるとの推測がたてられるようになってきている。1990年代以降、エチオピア(1994年発表)、ケニア(2001年発表)、チャド(2002年発表)の600万年ほど前の地層から化石の発見があいつぎ、それぞれ発見者らによって、最初期の人類であると発表された。これら最新の化石についてはくわしい研究が進行中であり、その評価がおちつくにはもう少し時間を要するだろう。
現代人(種名はホモ・サピエンス)の属するホモ属以前の人類は、まとめて猿人とよばれている。猿人の脳容量は現生人類の3分の1程度で、チンパンジーとさしてちがわなかった。腕が長く、足が短い体型も類人猿的で、身長は110~150cm程度しかなく、男性は女性よりもかなり大きかったらしい。ヒトの犬歯は類人猿のものにくらべて格段に小さいが、猿人でもこの傾向がみとめられる。少なくともアウストラロピテクス属以降の猿人は直立二足歩行をしており、それ以前の猿人もそうであったらしい。猿人の食物を特定することは困難だが、植物が主であったと考えられている。猿人はアフリカ大陸のみに分布し、ユーラシアへ進出した痕跡(こんせき)はない。 初期の猿人化石としては、エチオピアで発見された580万~440万年前のアルディピテクス属、600万年前とされるケニアのオロリン属、700万~600万年前と報告されたチャドのサヘラントロプス属が知られている。これらの化石は、どれも最近発見されたばかりで、現在、詳細な形態学的研究がすすめられているところである。 既存の猿人化石の多くは、420万~250万年前ごろのアウストラロピテクス属か、250万~140万年前ごろのパラントロプス属のものである。パラントロプス属は、頑丈型猿人ともよばれるのに対し、アウストラロピテクス属は華奢型(きゃしゃがた)猿人とよばれる。研究者によって分類の見解はことなるが、通常、出現年代と形態的特徴によってアウストラロピテクス属には4種(アナメンシス、アファレンシス、アフリカヌス、ガルヒ)、パラントロプス属には3種(エチオピクス、ボイセイ、ロブストゥス)がみとめられる。また近年ケニアで約350万年前の新しい頭骨化石が発見されたが、発見者らは既存のアウストラロピテクス属とはことなる新属とみなし、ケニアントロプス・プラティオプスと命名した。 アウストラロピテクス属の中で、アナメンシス種(約420万~390万年前)、アファレンシス種(約370万~300万年前)、ガルヒ種(約250万年前)は、どれもエチオピアからタンザニアにいたる、東アフリカから化石が発見されている。これらには年代のうえでも形態のうえでも連続性がみとめられ、少なくとも一部の研究者は、アナメンシス種がアファレンシス種をへて、ガルヒ種へ進化した可能性が高いと考えている。 南アフリカに分布していたアフリカヌス種(約300万~250万年前)は、基本的にアファレンシス種と似ているが、一方で大臼歯が大きいといった独特の特徴もある。このアフリカヌス種こそが、ホモ属の祖先であるとする研究者もいるが、現在のところ、子孫をのこさずに絶滅した南アフリカの固有種であったとする見方が有力である。 250万年ほど前のアフリカには、少なくとも3種の猿人(アウストラロピテクス・アフリカヌス、アウストラロピテクス・ガルヒ、パラントロプス・エチオピクス)が生存していたことが、化石によってわかっている。人類の系統に分岐が生じていたのである。現在では、そのうちの1種、1999年に発表されたアウストラロピテクス・ガルヒがホモ属に進化したという見方が有力である。一方パラントロプス属は、ホモ属とはことなる進化の道をたどった。エチオピクス種から進化した可能性の高い、南アフリカのパラントロプス・ロブストゥスと東アフリカのパラントロプス・ボイセイは、顎や臼歯を極端に大型化させる方向へ進化していったが、ホモ・エレクトゥス(原人)と共存したのち、150万年前ごろには姿をけしてしまった。 現在知られている最古の石器は、エチオピアの遺跡から出土しているオルドワン・タイプ(→ オルドバイ文化)の単純な礫石器(れきせっき:→ 打製石器)で、260万~250万年前のものとされる。これら最古級の石器は、アウストラロピテクス・ガルヒのような人類の手でつくられた可能性があるが、くわしいことはわかっていない。
ホモ属は、現代人(学名はホモ・サピエンス)がふくめられている属である。したがって、「ホモ属の出現」とは、猿人よりも一段と現代人に近づいた人類が登場したことを意味する。東および南アフリカの230万~180万年前ごろの地層からは、猿人よりもいくらか脳が大きく(500~700ミリリットル程度)、歯が比較的小さい化石が多数発見されており、最初期のホモ属のものであるとみなされている(ただし何をもってホモ属とするかは、ある程度恣意的(しいてき)にきめざるをえず、真のホモ属は、180万年前に登場するホモ・エレクトゥス以降の人類とみなすのがより妥当とする少数意見もある)。一部の研究者たちは、アウストラロピテクス・アファレンシスから進化したアウストラロピテクス・ガルヒが230万年ほど前にホモ属に進化した可能性が高いと考えている。一方で、ホモ属の祖先はアフリカヌス猿人やまだ未発見のほかの種であると考える研究者もいる。ホモ属が、どのような背景のもとに、なぜ進化したかについては、今後の新たな化石の発見と研究の進展によって明らかにされていくだろう。 残念ながら、既存の化石が概して断片的であるため、230万~180万年前ごろのアフリカにいた、最初期のホモ属について、あまりくわしいことはわかっていない。最初期のホモ属としてよく知られているのは、1964年に発表されたホモ・ハビリスである。ホモ・ハビリスは「器用なヒト」の意であり、人骨とともに石器が発見されたために、こう名づけられた。しかし一部の研究者は、最初期のホモ属の化石には、実際にはホモ・ハビリス以外に別種のホモ・ルドルフェンシスがふくまれていると考えており、ホモ・ハビリス1種のみをみとめる研究者と対立している。こうした分類上の混乱をさけるため、学名をあえてもちいず、これらを総称して「初期ホモ属」とよぶことも多い。 初期ホモ属の特徴としては、脳が大きく歯が小さいことや、その他の猿人との詳細な違いが指摘されている。その体つきについては、みつかっている断片的な骨格から猿人のような腕が長く足が短い体型が想定されていたが、この見方にはなお検討の余地があるかもしれない。同じ地層からオルドワン・タイプの石器が大量に出土し、動物骨に石器による傷跡が多数みとめられることなどから、このグループでは石器を系統的に利用し、かつ肉食への依存度が高まっていたと考えられる。ただし、この段階の人類がかならずしも組織的な狩猟をしていたとは考えにくく、多くの研究者は、自然死した動物や、肉食獣がたおした獲物をかすめとるなどの行動をしていたのではないかと推測している。乾燥化のすすむアフリカ大陸において、長く共存していたパラントロプス属が最終的に絶滅したのに対し、初期ホモ属は、180万年前ごろにホモ・エレクトゥスへ進化したらしい。
ホモ・エレクトゥスは、現代人の3分の2から4分の3程度にまで増大した脳をもち、初期ホモ属より縮小した顎や歯をそなえた人類である。手足の長さなど、全体的な体つきもより現代人的で、アフリカでは身長180cm以上の個体も少なくなく、かなり大型であった。180万年前ごろに、アフリカで初期ホモ属から進化したと考えられているが、その初期の進化史についてはなお不明な点が多い。 初期ホモ属や、共存していたパラントロプス属(約250万~150万年前)より適応力にとんだこのグループは、175万年前ごろには、アフリカと陸続きであったユーラシアへ進出したらしい。およそ600万年前ごろの誕生以来アフリカにのみ分布していた人類は、このときはじめて劇的に分布範囲を広げた。ホモ・エレクトゥスの時代には石器文化にも技術的な進歩がみられ、140万年前ごろには、ハンド・アックスに代表される新しい石器技術体系である、アシュール文化を確立した。ユーラシアへ広がったホモ・エレクトゥスのグループの一部は、ジャワ原人や北京原人などとして知られている。 アフリカのホモ・エレクトゥス集団は、60万年ほど前により進歩的な人類(最近ではホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)という種名をもちいる研究者が多い)へと進化したらしい。アジアにいた集団は、おそらく数万年前までさかえ、その後絶滅、もしくは後からやってきた新人(ホモ・サピエンス)のグループに吸収された可能性が高い。
最初のホモ・エレクトゥスをめぐる解釈は、1990年代以降の新たな化石の発見によってゆらいでいる。それ以前に知られていたユーラシア最古の人類はジャワ原人で、その最古の年代は110万年前ごろとみなされていた。ところがグルジアのドマニシ遺跡において175万年前とみつもられる地層から、人類の化石がいくつも発見され、人類最初のユーラシア拡散に関する考えは大きく修正をせまられるようになった。さらにジャワ原人の最古の年代も180万年前までさかのぼるとの見解も提出され、議論をよんでいるほか、中国北部で166万年前と推定される石器群もみつかっている。 ドマニシ遺跡から出土した頭骨化石は、脳容量が小さくきわめて原始的であり、いわばそれまでに知られていたホモ・ハビリスとホモ・エレクトゥスの頭骨の中間的な形態をしめしている。そのため、これらの新たな化石の分類学的・系統学的位置付けをめぐって、研究者間の意見はわれている。一部の研究者は、ホモ・エレクトゥスの定義を拡張して、新化石はホモ・エレクトゥスの最初期のグループのものとみなしている。一方、このドマニシ遺跡の化石はホモ・エレクトゥス以前の人類のもので、この発見はホモ・エレクトゥスという種自体がアフリカでなくユーラシアで進化したことを示唆すると考える研究者もいる。 いずれにせよ、これらの最近の発見により、人類最初のユーラシア拡散とその後の進化史は、それまでの予想より複雑なものであったことが明らかとなってきた。
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