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  • 人類の進化 - Wikipedia

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人類の進化

人類の進化 じんるいのしんか
百科事典項目
項目構成
4 B

ジャワ原人と北京原人

アジア地域のホモ・エレクトゥス化石としては、インドネシアのジャワ島と、中国の北京近郊の周口店遺跡から、まとまった量が出土しており、それぞれジャワ原人、北京原人とよばれている。ただし、それ以外の地域にホモ・エレクトゥスがいなかったわけではない。中国では、周口店以外の遺跡からも、少数の化石が出土しているし、化石こそ発見されていないが、ホモ・エレクトゥスは、アジアの低緯度から中緯度にかけての広い地域に分布していただろう。

ジャワ原人の化石は、ジャワ島の110万~10万年前(最古の年代は180万年前でもっとも新しい年代は数万年前という説もある)の地層から多数見つかっている。100万年以上にわたるこのグループの初期の進化史には、なお不明な点も多いが、少しずつ解明がすすめられている。ジャワ原人にはある程度の時代的な違いがあり、最古のジャワ原人はかなり原始的な特徴をもっていたことが、最近の研究からしめされている。その後のグループにはやや独特な形質がみとめられるようになり、中国のホモ・エレクトゥスなどとは比較的隔絶された状態で、独自の小進化をとげたようである。やがてアフリカやユーラシア大陸には、ホモ・エレクトゥスよりも進歩的な旧人があらわれたが、インドネシア地域には、5万年前ごろに現生人類(新人)がやってくるまで、このホモ・エレクトゥス段階の人類が存続していた可能性が高い。

発見当初につけられたピテカントロプス・エレクトゥスという学名は、ラテン語で「直立した猿人」の意味である。しかし現在では、このグループはホモ属にふくめるのが妥当とする考えが支配的で、ホモ・エレクトゥスの学名がもちいられている。

北京原人の化石の多くは、中国の北京郊外の周口店遺跡から1926~37年にかけて発見された。中期更新世(78万~13万年前)の前半に相当するとされる地層から発見されたこれらの化石は、ジャワ原人やアフリカの原人とはことなる特徴をいくつかしめし、この周辺に分布していたホモ・エレクトゥスの1地域集団のものとみなすことができる。平均脳容量は1000ミリリットルをこえ、終末期のジャワ原人に匹敵する。発見当初はシナントロプス・ペキネンシスという学名をあたえられたが、この学名は現在つかわれていない。

ホモ・エレクトゥスの時代にあっても人類進化の歩みはつづいていた。初期のホモ・エレクトゥスの脳容量はまだそれほど大きくなく、750~800ミリリットルほどである。しかし後期になると1100~1200ミリリットルにまでなり、新人の脳容量に近づいていた。ただしこれは、150万年以上にわたる、ゆっくりとした変化であり、旧人の出現期にみとめられる急激な変化とは、区別して考える必要がある。

4 C

ホモ・フロレシエンシス

2004年に発表されたホモ・フロレシエンシスの存在は、それまでだれも予測していなかったもので、人類進化研究史の特記事項にくわえられるべきものである。ホモ・フロレシエンシスが発見されたフロレス島は、ジャワ島からいくつかの島をはさんで東方に位置する島である。氷期の海面低下時にインドシナ半島と連結していたジャワ島とはことなり、海をこえなければたどりつけないため、ホモ・サピエンス以前には人類はいなかったと考えられていた。ところが、この島の洞窟(どうくつ)に堆積(たいせき)した約9万~2万年前の地層から、原始的でかつ身長約1mと、いちじるしく小型な人類化石が発見されたのである。

最初の研究の結果、海をこえて島へたどりついたジャワ原人のある集団が、島の閉鎖された環境の中で矮小化(わいしょうか)したのが、この新種の人類ホモ・フロレシエンシスであるらしいと推定された。この発見により、ホモ・エレクトゥスもなんらかの手段である程度の距離の海をわたることができたこと、人類進化史の中でかくも極端な矮小化がおこりえたこと、そして、そのような人類がかなり最近まで生存していたことが示唆された。

しかしその後、この化石に対するいくつかのことなる見解が提示され、議論をよんでいる。1つは、ホモ・フロレシエンシスはジャワ原人よりも、もっと原始的なホモ・ハビリスあるいはアウストラロピテクスなどの人類とむすびつけられるのではないかというものである。しかし、そのような原始的でかつ古い年代をしめす人類の化石は、現在のところ南~東南アジア地域からみつかっていない。

もう1つは、発見された化石は、新種の原始的な人類ではなく、小頭症や成長障害をわずらって、身体と脳が小型化した、病気のホモ・サピエンス(つまり現生人類)のものである、という考えである。これまでのところ、フロレス島の化石人類のような形態特徴が、そうした病気によって形成されるというじゅうぶんな証拠は提示されていない。しかし、このあまりに予想外な発見を前に、こうした疑念はまだ根強くのこっている。

5

旧人

脳容量が大きいなど、ホモ・エレクトゥスよりも進歩的な特徴をいくつかしめすが、現生人類とくらべると原始的な特徴をはっきりとのこしている人類を、まとめて旧人とよんでいる。最古の旧人は、アフリカでホモ・エレクトゥスから進化したらしい。ヨーロッパでは少なくとも50万年前、アジアでは30万年前ごろに旧人が出現したようだが、これらの地域の旧人がアフリカからやってきたのか、それとも各地でホモ・エレクトゥスから進化したのか、くわしいことはわかっていない。

旧人の分類について研究者の間では意見がわかれている。代表的なのは、旧人の中にホモ・ハイデルベルゲンシスとホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の2種をみとめるというものである。その他、最近では少数派となりつつあるが、旧人を原始的なホモ・サピエンスとみなし、古代型のホモ・サピエンスとよぶ研究者もいる。

「ネアンデルタール人」と「旧人」が同意にあつかわれることがあるが、これは1960年代ごろに支持をあつめたある説にもとづくものであり、現在では修正をせまられている。ネアンデルタール人は30万~3万年前ごろにかけてヨーロッパや西アジアにすんでいた旧人の1地域集団である。その名は、最初の頭蓋化石が発見されたドイツのネアンデル谷(タール)に由来している。他の地域で発見される旧人の化石は、ネアンデルタール人独特の特徴を欠いているため、ネアンデルタール人とはよばない。

旧人は、16万年前ごろまでにアフリカで新人へ進化したが、その後も一部の旧人集団は存続しており、たとえばネアンデルタール人のもっとも年代の新しい化石は、ヨーロッパにおいて3万年前ごろの遺跡から発見されている。

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現生人類

現在、世界各地に生存している人類、および骨格形態的にこれと同じグループに属するとみなされる化石人類をまとめて現生人類または新人とよぶ。

6 A

現生人類の起源をめぐる2つの仮説

現生人類の起源と進化については、2つの対極的な仮説があり、1980年代から激烈な論争がくり広げられてきた。「多地域進化説」では、百数十万年前にアフリカから拡散し、ユーラシアの各地へ広がったホモ・エレクトゥスやそこから進化した旧人が、それぞれ現代人的な要素の一側面を進化させるたびにその遺伝子が隣接地域に伝播(でんぱ)し、各地の系統は維持されつつも、この遺伝子の横方向の伝播を通じて世界的に新人への進化が生じたと考える。一方「アフリカ起源説」では、旧人から新人への進化はアフリカで20万~10万年前の間におこり、この集団がのちに世界じゅうへ拡散してユーラシア中~低緯度地域に分布していた旧人と置き換わり、そして現代の各地域集団となったと考える。つまりユーラシア地域にいたホモ・エレクトゥスや旧人は、最終的に子孫をのこさず絶滅したとみなすのである。

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