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  • 人類の進化 - Wikipedia

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人類の進化

人類の進化 じんるいのしんか
百科事典項目
項目構成
6 B

「アフリカ起源説」を支持する証拠

1980年代末から蓄積されてきた遺伝学的データ、新たな化石の発見、以前に発見されていた化石の年代の見直し、さらに考古学的証拠の蓄積により、現在では「アフリカ起源説」が圧倒的に有力視されるようになってきた。とくに2003年6月に発表されたエチオピアのミドルアワシュで発見された頭骨化石は、ネアンデルタール人が西ユーラシアで繁栄した13万~4万年前よりはるか前の約16万年前に、アフリカに現生人類がすでに存在していたことを明らかにした。ただし、当初一部でいわれていた、「置換」という考え方に対しては反対意見も根強く、新人の世界拡散の過程で在来の旧人とのある程度の交雑があったとみる研究者も多い。

「アフリカ起源説」は考古学的にも支持されることが、2000年ごろから少しずつ明らかにされてきた。なかでも重要なのは、南アフリカ共和国のブロンボス洞窟における数々の発見である。この洞窟では、考古学者たちが“現代人的行動”とよぶものの一連の証拠が、7万5000年前の地層などから発見された。それは線刻された模様やアクセサリー、そして本格的な骨器や漁の証拠などである。こうした証拠がユーラシアでみつかるようになるのは、5万~4万年前の間である。したがってブロンボス洞窟における世界最古の模様やアクセサリーなどの発見は、人類史の中で“現代人的行動”が、アフリカにおいて最初にあらわれたことを裏づけている。

6 C

見かけはちがっていても遺伝的類似性は高い

世界各地の現代人集団は、見かけや文化のうえでいくつかの明らかな違いをしめす。しかし、そこからうける印象とは裏腹に、現代人集団間の遺伝子上の差異はごくわずかなものでしかない。実際に現代人では、地域集団間の遺伝的差異よりも、それぞれの地域集団内の差(つまり集団内の個人差)のほうが圧倒的に大きい。この世界各地の現代人の本質的類似性は、「アフリカ起源説」が提示するわれわれの起源の「浅さ」に由来するものである。

7

現生人類の世界拡散

700万年前にアフリカで誕生した人類が、はじめてアフリカの外へ拡散し、ユーラシアの中・低緯度地域へ広がったのは、180万年前以降のことである。しかし、オーストラリアとの間に広がる海と北ユーラシアの極度の寒さは、その後百数十万年間、ホモ・エレクトゥスや旧人にとってのりこえられない障壁でありつづけた。これらが突破され、さらにシベリアからアラスカ経由で人類がアメリカ大陸にわたり、はては太平洋の島々にまですみつくようになったのは、新人の段階にいたってからである。

7 A

世界への拡散

新人のオーストラリアへの渡来年代はなおはっきりしていないが、研究者たちは4万年前かそれ以前との見方で一致している。これは、人類史上最初の遠洋航海をともなうものであったと考えてよい。シベリアへの進出は、4万年前ごろから徐々にすすみ、1万4000年前には新人はアラスカへ達したと思われる。機能的な衣服や重厚な住居などの発明が、これを可能にしたのはいうまでもない。やがて北米大陸をあつくおおっていた巨大氷床が後退しはじめると、これらのグループは1000~2000年という短い間に南北アメリカ大陸の隅々にまで広がっていったらしい。メラネシアポリネシアの島々へ広がるには、高度な航海技術の発達をまつ必要があったが、東南アジア周辺に由来する集団によって3000~500年前の間になされ、大航海時代にヨーロッパ人が太平洋を探検した時点では、すでにどの島にも先住民が渡来していた。

7 B

文化の多様化

このように新人が世界各地へ拡散する過程とその後の歴史の中で、各地の地理・気候条件や近隣の集団との相互関係に影響されながら、新人のそれぞれの集団は地域固有の文化を発展させていった。やがて条件のととのっていた地域では、農耕・牧畜などの食糧生産がはじまり、これが都市文明や国家の誕生(メソポタミア)をうながし、現在にいたるわれわれの壮大な歴史をみることとなった。

人類学ヒト

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