検索
エンカルタ内で検索 : 東条英機

Windows Live® の検索結果

  • 東条英機

    なお、東条英機の次男・輝雄 (05年7月現在90歳) は元三菱自動車工業社長で、東大工学部航空科を卒業後、1937 (昭和12 )年に三菱重工業へ入社し、ゼロ戦の開発にかかわった。戦後の1959 (昭和34) 年に官民合同で設立された「日本航空 ...

  • 東条英機

    東条英機 1884 (明治17) 年~1948 (昭和23) 年 陸軍軍人 (大将) ・政治家。東京生まれ。陸士・陸大卒。参謀本部編制動員課長・歩兵第24旅団長、35(昭和10)年関東憲兵隊司令官、37年関東軍参謀長をへて38年陸軍次官となる。

  • TBS「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条 ...

    2008年12月29日よる6:55~11:32 ドラマとドキュメンタリーで綴る開戦への道 ... シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機 12月24日(水)よる6:55~11:32 ドラマとドキュメンタリーで綴る開戦への道

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

東条英機

東条英機 とうじょうひでき
百科事典項目

1884~1948 大正~昭和期の陸軍軍人・政治家、太平洋戦争開始時の首相。陸軍中将東条英教(ひでのり)の長男として東京に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。永田鉄山の陸軍統制強化論に影響をうけ、1928年(昭和3)陸軍省にはいり、のちに永田とともに統制派とよばれる陸軍内の一大勢力をつくった。中国への強硬進出を主張し、37年に関東軍参謀長になると、「満州国」を利用して中国支配に奔走し、日中戦争を拡大させた。第2次・第3次近衛文麿内閣の陸相時代には、日独伊三国同盟の締結や武力南進政策を決定するなど、日米開戦をさけようとする近衛首相に反対して内閣を総辞職においこんだ。

1941年、近衛のあとをついで現役軍人のまま首相に就任し、同年、対米英開戦を強行した。その後の内閣改造などをふくめて、内務・外務・陸軍・文部・商工・軍需の各大臣を兼任し、さらに参謀総長までをつとめて戦時下の独裁的体制をきずきあげ、大東亜共栄圏建設を宣伝しながら太平洋地域制圧にむけて戦争をすすめていった。しかし戦局は悪化の一途をたどり、44年の内閣総辞職で第一線をしりぞいた。戦後、A級戦犯容疑で逮捕される直前にピストル自殺をはかったがはたせず、東京裁判で死刑判決をうけ刑死した。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2009 Microsoft