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前480?~前406? 古代ギリシャの劇作家。アイスキュロス、ソフォクレスとならぶアテネの三大悲劇詩人のうち最後の人物。彼の作品は次のローマの演劇に大きな影響をあたえた。後世、イギリス、ドイツの演劇や、ことにフランスの劇詩人コルネイユとラシーヌにあたえた影響は大きかった。 言い伝えによると、前480年ごろ、9月23日にサラミスで生まれたが、この日はギリシャとペルシャの間でサラミスの大海戦がおこなわれた日であった。両親は貴族階級に属していたという説も、出自はいやしかったとする説もあるが、いずれにせよ息子には完璧な教育をうけさせた。彼の劇作品は前454年のアッティカの演劇祭から上演された。しかし、1等賞を獲得したのは前442年からで、才能豊かで多作だったにもかかわらず、1等賞はわずか4回しかなかった。劇作のほかには、彼の主要な関心は哲学と科学にあった。 自分では特定の学派に属しているとみとめていないが、ソフィストやプロタゴラス、アナクサゴラス、ソクラテスといった哲学者から影響をうけた。彼の性格は気むずかしく、自分が同時代人から誤解されていると考えていた。というのも、彼はつねにアテネの喜劇作家たちの攻撃目標になっていたからである。なかでもアリストファネスは喜劇「蛙(かえる)」で、エウリピデスを風刺の対象にした。エウリピデスの作品は悲劇の慣例にはずれ、英雄や王子が日常語で対話をし、伝統的な宗教的・道徳的価値観にそむいていると批判された。とはいえ彼はギリシャ全土で有名で、晩年はアテネをさり、マケドニアへおもむいた。
エウリピデスはその作品の中に、前5世紀末にアテネでおこりつつあった、新たな道徳的・社会的・政治的運動を表現した。前5世紀末は大いなる知的発見の時代であり、学問が現世における最高の業績として位置づけられていた。当時、空気は元素であり、太陽は神ではなく物質にすぎないということを、アナクサゴラスが証明してみせた直後だった。知識のあらゆる分野で新たな真理がうちたてられつつあった。エウリピデスはそれに呼応して、悲劇の創作に新たな意識をもちこんだ。彼の関心は、ホメロスの叙事詩にでてくる伝説的な人物像より、むしろありふれた個人の思想や体験にあった。 エウリピデスは古い神話を題材にしても、その登場人物を写実的にえがいた。彼らは、理想化された象徴的存在ではなく、同時代のアテネ人であった。当時の知的懐疑主義を共有する彼の悲劇は、まだ権威をたもっている過去の宗教的・道徳的教義に戦いをいどむものであり、そこには人間の弱さや堕落をあるがままに観察するとともに、人間のヒロイズムと尊厳、繊細な感情などを尊重する意図があらわれている。
エウリピデスの悲劇は構造に弱点があると批判された。劇の展開とは無関係に合唱隊(コロス)をもちいる彼の作劇法は伝統に反するものであり、作品のいくつかは、すばらしい独立したエピソードをもっているが、筋の展開に不可欠である、まとまりのある単位にはならないというのだ。しかしながら、こういう批判はエウリピデスの悲劇の多くにはあてはまらない。たとえば「メデイア」は、プロローグから痛烈なクライマックスにいたるまで話の筋は着実に展開する。また後期の作品の多くは、合唱隊の歌は劇の筋をすすめるためというよりは、主テーマをおぎなう役割をはたしている。 彼はまた説明的なプロローグをもちいることでも批判をあびた。劇がはじまる以前の出来事を観客に知らせ、また、これからおこる出来事の粗筋をのべておくのである。アリストファネスは、エウリピデスが登場人物に身の上話を長々とかたらせる手法を機械的かつ過度にもちいていると揶揄(やゆ)した。エウリピデスはまた、大団円を生じさせるために、予期せぬところで神を登場させる「デウス・エクス・マキナ」(機械仕掛けの神)の手法をもちい、筋立てにあうように神話・伝説の内容を改変した。
ほかのギリシャの劇作家たちと同様、エウリピデスはふつうの資料から劇の筋をえていた。彼はギリシャで生まれた神話と伝説、とくにテセウスのようなアテネの英雄たちの冒険物語に、強く魅了されていた。また新たな分野、とくにはげしい情感とロマンティックな行動をうながすテーマに悲劇の題材をもとめた。ベレロフォン、ファエトンを主人公とする物語がそれで、これらはエウリピデスによってはじめて劇作化された。
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