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  • ベルギー - Wikipedia

    ベルギー王国 ( - おうこく)、通称 ベルギー は、西 ヨーロッパ の 国家 。 立憲君主制 の 連邦制国家 。隣国の オランダ 、 ルクセンブルク と合わせて ベネルクス と呼ばれる。 欧州連合(eu) の原加盟国であり、その本部が首都 ブリュッセル に置かれて ...

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ベルギー

ベルギー Belgium
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独立と中立

1831年、ベルギーは憲法を制定し、ブルジョワジーの男子が二院制の議会を選出し、王の行政行為は首相の承認を要することと規定して、レオポルド1世が国王にむかえられた。39年、オランダはベルギーを承認する平和条約に調印した。この条約でヨーロッパ列強はベルギーを「永世中立国」とみとめた。

レオポルド2世の統治下のベルギーは、数多くの国内問題をかかえていた。自由主義派とカトリック派は教育をめぐって対立した。工業化や都市化の進展にともない、住宅や労働条件の改善も急務となり、ブルジョワジーにしかみとめられていない男子参政権の不平等に対する反対運動もおこった。

また、フランス語を話す少数のブルジョワジーとオランダ語を話す労働者クラスの多いフラマン人との抗争は、参政権の問題もからんで表面化した。その後参政権の拡大がはかられ、不平等が是正されはじめたため、政府は公式業務をおこなう際、両言語に同等の権限をあたえることになった。

レオポルド2世はアフリカのコンゴを個人の領土とし、1885年のベルリン会議でコンゴ自由国として承認された。しかし、1900年、現地住民への虐待など国王の植民地支配が問題となり、08年ベルギー政府に支配権が移譲され、ベルギー領コンゴとなった。

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第1次世界大戦

1914年8月、ドイツ軍は永世中立国であるベルギーに侵攻した。4年間にわたるドイツ軍の占領で、100万人が国外へ逃亡し、8万人の兵士や市民が死亡した。

1918年の連合軍の攻撃で戦争は終結し、ベルサイユ条約によってドイツはベルギーにオイペン、マルメディ、モレネの各地域を割譲した。

ベルギーは破壊された領土の再建をはかり、めざましい復興をはたした。男子普通選挙制が導入され、1920年には中立を放棄してフランスと軍事同盟を締結した。さらに25年にはロカルノ条約にくわわり、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアはベルギーの領土不可侵を公約した。

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第2次世界大戦と戦後

1936年、ベルギーはナチス・ドイツに対してイギリスとフランスの援護を条件として軍事的中立政策をとったが、40年にドイツはベルギー侵攻をはかった。英仏援護軍は圧倒的軍事力をほこるドイツ軍にやぶれ、レオポルド3世も軍とともに無条件降伏した。政府はロンドンへ亡命し、抵抗をつづけ、ドイツの敗戦で44年にブリュッセルへもどった。

大戦後は政治的には混乱していたが、貿易大国としてのかつての地位をほぼとりもどした。1945年に国際連合に加盟し、49年にはNATO(北大西洋条約機構)にくわわった。追放されていたレオポルド3世の去就を問う国民投票が50年3月におこなわれ、57.6%が復位賛成という結果が出た。7月、ベルギー議会は復帰をみとめたが、たちまちワロン系住民のはげしい反発が国内各地でおこり、レオポルトは復位を断念。息子のボードゥアン1世が即位した。

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西欧諸国の協力とベルギー

1950年代、西欧諸国は政治および経済統合へむけて努力を重ねた。ベルギーは、52年にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の設立メンバーとなった。54年、フランスがヨーロッパ防衛共同体設立条約の批准を拒否したことでヨーロッパ統合はつまずいたが、ベルギーの外相スパークの主導でヨーロッパ共同市場の創設と原子力共同体の設立が提案され、統合への道が復活した。スパーク提案は57年のEEC(ヨーロッパ経済共同体)、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)の創設へとつながり、ブリュッセルはEECの本部および業務の中心となった。ECSC、EEC、EURATOMは67年にEC(ヨーロッパ共同体)としてまとめられ、現在はEU(ヨーロッパ連合)となっている。

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アフリカからの撤退

1960年、植民地のベルギー領コンゴで反乱が勃発し、ベルギーはアフリカから撤退せざるをえなくなった。同年6月、ボードゥアン国王は植民地(現在のコンゴ民主共和国)の独立を宣言する。62年には、ベルギーが統治していた信託統治領ルワンダ・ブルンジがルワンダブルンジとして分離独立した。

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