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  • 難民 - Wikipedia

    難民 (なんみん、 英: refugee )は、狭義には 戦争 、 宗教 や 民族 対立などの理由で住む場所を追われた人々を指す。広義には 天災 や貧困、飢餓によるものを含む。しかし現在の国際法においては紛争や政府の弾圧など迫害を受けるものに対する救済の義務が ...

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難民

難民 なんみん Refugee
百科事典項目
項目構成
2

戦後世界

第2次世界大戦では、ファシズムの台頭によってドイツ、イタリアから多くの人々が追放され、戦後も東ドイツからの難民は多数にのぼる。

さらに、その後も朝鮮戦争インドシナ戦争中東戦争などが発生するたびに、大量の難民が発生している。なかでも、イスラエルの建国と中東戦争によるパレスティナ難民は現在300万人にのぼり、1949年には国連パレスティナ難民救済事業機関(UNRWA)が設置されている。71年のバングラデシュの独立の過程では1000万人もの難民が発生した。

1975年には、サイゴン陥落後のベトナムから海をこえて脱出するボートピープルが、さらに79年からは内戦のつづくカンボジアからもタイへ多数の人々が難民となって流出している。80年代にはソ連のアフガニスタン侵攻やその後の内戦でパキスタンとイランに流出したアフガニスタン難民は500万人に達し、イラクのクルド人やイスラム教シーア派の人々、イラン人などが戦争や政治的弾圧で故国をはなれた。

このように、紛争がおこるたびに難民の発生は後をたたない。近年では、戦乱などによってルワンダ、ソマリア、チャド、スーダン、リベリアなどのアフリカ諸国、中東と中央アジア諸国、そして東ティモールなど東南アジアでも、国境をこえた難民だけではなく、国内にとどまっているが難民と同じ状況にある国内避難民が発生している。

また、中南米・カリブ海地域では、1959年のキューバ革命後に多くのキューバ人がアメリカや中南米諸国あるいはスペインへ脱出、70~80年代にはチリ、アルゼンチン、ニカラグア、エルサルバドルから難民が流出した。さらに、ソ連・東欧諸国の社会主義体制の崩壊にともない、新たな民族紛争がもとになり膨大な国内避難民などが生じている。

IV

国際的難民支援

現在地球上には50億をこえる人々が生きている。そのうち、難民の人数は、UNHCRが支援する人々を合計した数値によると、2002年1月1日現在、概数でアフリカ417万、アジア882万、オセアニア8万、ヨーロッパ486万、北米109万、中南米・カリブ海地域77万で、世界全体では2000万人弱である(避難民、その他の援助対象者をふくむ)。

これにUNRWAが支援する約300万人をくわえると3000万人である。さらに、世界には2600万人の国内避難民がいるという。したがって、全人類のおよそ100人に1人は難民である。

難民は、着の身着のままでのがれてくる。中央政府の行政のゆきとどかない周辺から周辺への移動が多く、教育も満足にうけていない場合が多い。とくに、戦乱からのがれてくる場合などは、成人男子は兵にとられているために少なく、老人、女性、子供が圧倒的である。そのために、自給自活能力に欠け、外部支援が必要とされてくる。こうした難民を一手にひきうけてきたUNHCRの年間予算は、ここ数年来毎年10億ドルをこえている。

UNHCRは、最近では、ベトナム難民国際会議、カンボジア難民国際会議、アフリカ難民国際会議のように個別に会議を開催して、国際救援活動全体の円滑化をはかろうとつとめている。

国際機関では、WFP(世界食糧計画)、ICRC(赤十字国際委員会)(赤十字)、IOM(国際移住機構)、UNICEF(国連児童基金)、そして海外や地元のNGO(非政府組織)がUNHCRと協力してきめ細かい援助をおこなっている。

V

今日の難民問題

難民問題の解決の第1は、本国への自主帰還である。アフリカでは、130万人のモザンビーク難民の帰国に成功したと報告されている。しかし、難民となった原因を考えると、この方法をすべての難民にあてはめるのは、いちじるしい困難をともなう。

第2に、第1次庇護国での定住が考えられる。アフリカの伝統的政治・社会体系においては、歴史的にみると、この解決策がとられる場合が多かった。しかし、難民の発生状況をみると、発展途上国が圧倒的に多く、近隣の第1次庇護国も、貧困・失業など深刻な問題を国内にかかえている。

そのうえ、マレーシアのように多民族国家特有の悩みをもつ国も少なくない。オーストラリアやEU(ヨーロッパ連合)諸国など避難民をうけいれてきた国でも反対運動や法的な規制がおきている。逆に日本のように、「単一民族国家」という特殊な社会なので難民が社会に適合するのは困難であるとして、難民の定住をしぶる国もある。

第3に、第三国での定住がある。これは、定住先の言語の違い、生活や文化への適応に困難があることなどから難民問題の解決策としては一般に最後の手段としてつかわれる。大規模な第三国定住の例としては、インドシナ難民があげられる。これは国際的な取り決めをもとに西側諸国が実施し成果をあげたもので、今後に生かされるべきものであるが、同時に定住枠のいたずらな拡大は、かえって難民を流出させる誘因になりかねないことや、定住受け入れ国の負担などの問題もある。

こうした難民問題の具体的解決法とともに、より根本的には、難民を流出させる政治的、経済的、宗教的、民族的緊張の原因そのものに対処しなければならないという主張がふえているのは、いうまでもない。

21世紀は難民の世紀だといわれる。こうした「予言」の背景には、問題は、難民個人にあるのではなく、彼らを生みだし、彼らを拒絶する国家こそ問題なのだという認識があることを知らねばならない。

亡命

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