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    医学 (いがく)は、生体の構造や生理機能についての探求や、疾病の性状、原因について調査し、その診断、治療、 検査 、 予防 等についての研究診療を行う 学問 である。

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医学

医学 いがく Medicine
百科事典項目
項目構成
VI

近代医学の夜明け

17世紀の医学を代表し、また新しい医学の始まりとなったのは、イギリスのウィリアム・ハーベーによる血液循環(循環器系)の発見である。ハーベーは、血液は心臓からおしだされて心臓へもどるという説を確立した。その後、イタリアのアセリはリンパ管(リンパ系)を発見した。イタリアのマルピーギは顕微鏡をつかって、毛細管を発見し、ハーベーの説をさらにおしすすめた。顕微鏡は1600年ごろに発明され、細菌、細胞、赤血球などが次々と発見された。

17世紀はまた、物理学と化学がおこり、これを医学にも応用する動きがあらわれた。イアトロ物理学とイアトロ化学である(イアトロは医の意味)。イアトロ物理学の代表はフランスのデカルトで、目と視覚の研究をして、体の働きを物理的な機械としてとらえた。イアトロ化学者のF.シルビウスは、体の働きは化学反応であるとした。しかし、この2つの動きは臨床には応用できなかった。17世紀の臨床医学を発展させたのは、イギリスのヒッポクラテスといわれるT.シデナムである。彼は臨床観察を重視し、マラリアはしかしょう紅熱などを研究した。また、キニーネをとりいれたのもシデナムで、その功績は大きい。

1

18世紀の医学

ニュートンの法則発見に刺激されて、医学を体系化しようとする試みがつづけられた。スウェーデンのリンネが生物の分類法を確立し、医学にもそれにならった分類法があてはめられたが、ほとんど価値はなかった。また、17世紀末ごろからおこったイアトロ化学やイアトロ物理学に対する反発はますます強まった。その絶頂期、ドイツのG.E.シュタールは命のもとは魂であるとする生気論を発表し、同じドイツのF.ホフマンは体を機械としてとらえた。生気論と機械論の対立は18世紀末に盛んになる。

18世紀後半、医学の各分野は科学として発展するようになった。イギリスのウィリアムおよびジョンのハンター兄弟とW.スメリは、それまで助産婦のものだった産科学を医学の一分野として確立した。病理学を科学に高めたのは、イタリアのG.B.モルガーニである。イタリアのスパランツァーニ自然発生説に反対をとなえた。また、実験生理学が盛んになり、スイスのA.フォン・ハレルによって神経と筋肉の動きが明らかになった。ジギタリスが心臓病の治療に導入されたのもこの時期である。ドイツのS.F.Cハーネマンは、ホメオパシーの理論を展開させた。

外科も実験をとりいれ、科学として大きく進歩する。陸、海軍を中心に発達し、手足の切断、ヘルニア手術、気管の切開などがおこなわれている。その第一人者はイギリスのジョン・ハンターである。

イギリスのJ.リンドは、壊血病がビタミンCの不足からおこることをつきとめ、壊血病にくるしむ海軍をすくった。1796年、イギリスのジェンナーは種痘法を開発した。天然痘から人間をまもる革命的な方法であっただけでなく、免疫法を確立した功績は大きい。

VII

19世紀の医学

19世紀は、医学における発見の時代であり、診断、治療、手術法が飛躍的に進歩した。1761年、オーストリアのJ.L.アウエンブルッガーが胸の病気の診断法として、打診法を開発した。この方法は、1808年になってフランスで本が出版され、ひろく知られるようになった。その後16年には、フランスのラエネクが聴診法を開発し、聴診器を発明した。聴診器はその後、改良を重ねられ、現在でももっとも役にたつ診断用具として活躍している。イギリスの臨床家たちは、新しい診断法を駆使してさまざまな病気を発見した。アジソン病、ホジキン病(悪性リンパ腫)、パーキンソン病など、発見者の名が病気につけられている。

1895年、ドイツのレントゲンが偶然発見したX線が、診断に大きな威力を発揮するようになった。デンマークのN.R.フィンセンは、紫外線ランプを開発し、皮膚結核や皮膚病の治療に貢献した(紫外線)。98年、キュリー夫妻が発見したラジウムは、の治療に利用されている。

1

ヨーロッパでの発見

伝統的な体液説がまだのこる中、ドイツではいちはやく大学が近代化され、貴重な科学的発見の中心となった。医学もその恩恵にあずかることになる。基礎科学では、シュライデンがすべての生物は細胞からできているという細胞学説(発生学)をたてた。細胞学説は、動物の進化に応用されただけでなく、病変組織を顕微鏡でしらべるという研究への道をひらいた。

フランスのM.F.X.ビシャーは、組織学の礎をきずいた。オーストリアのロキタンスキーは、3万体以上の検死をおこない、心内膜炎の原因が細菌であることをつきとめた。ドイツのデュ・ボア・レーモンは筋肉と神経の生理学と代謝に関する新しい知識をふきこみ、J.P.ミュラーは神経の特殊エネルギーの概念をとなえた。K.E.フォン・ベールは人間の卵子を発見した。このような種々の発見の頂点にたつのは、フィルヒョーである。彼は、細胞病理学の分野を確立し、細胞が病気の単位であることを発表した。フィルヒョーの考え方は、現代医学の基礎となった。

2

ダーウィン、パスツール、コッホ

ダーウィン進化論(進化)は、比較解剖学と生理学の分野に大きな影響をあたえた。メンデルはエンドウ豆の研究から遺伝の法則(メンデルの法則)を発見し、ヒトの遺伝の研究に影響をあたえた。

フランスのパスツールは実験によって、発酵は、純粋な化学現象ではなく、微生物が介在することを証明し、生物の自然発生説を完全にうちくだいた。そして、ウイルスの毒性を弱めて、炭疽、ニワトリコレラ、狂犬病のワクチンを完成した。

細菌学でパスツールにならぶ功績をあげたのは、ドイツのコッホである。昔からある炭疽、ジフテリア結核などの病気が、確認された。

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