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    医学 (いがく)は、生体の構造や生理機能についての探求や、疾病の性状、原因について調査し、その診断、治療、 検査 、 予防 等についての研究診療を行う 学問 である。

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医学

医学 いがく Medicine
百科事典項目
項目構成
3

細菌学と外科

19世紀、病気は病原体によっておこるという説がふたたびもちあがった。オーストリアのI.P.ゼンメルワイスは、消毒していない手で産婦にふれると細菌感染によって産褥熱がおこると主張した。19世紀初期にはまた、ジフテリア菌、淋菌(淋病)など、多くの病原菌が発見されている。ノルウェーのG.H.ハンセンは、らい菌を発見した(ハンセン病)。病原菌がつきとめられることによって、治療法も発達した。ドイツでは、淋病の母親から生まれた新生児の眼炎を硝酸銀で消毒して予防する方法が考えだされた。ドイツのベーリングがジフテリアと破傷風血清を開発すると、子供の死亡率は大きく減少した。ロシアのメチニコフは、白血球に細菌を食べる作用(食作用)のあることを発見した。日本人も細菌学の分野で活躍している。北里柴三郎は1894年ペスト菌を、志賀潔は97年、赤痢菌を発見した。

病原微生物の研究がすすむと、動物や昆虫が病原体をはこぶこともあるとわかってきた。1897年に、イギリスのR.ロスがマラリアをはこぶのが蚊であることを明らかにしている。1900年には、キューバのC.J.フィンレーの仮説にもとづいて、アメリカのW.リードたちは、黄熱病は蚊が媒介することを明らかにした。

微生物学の発展にともなって、外科も発達した。イギリスのリスターは、細菌は空気によってはこばれ、傷口から体内にはいると考え、傷を石炭酸で消毒する方法をこころみた。これによって、ガレノスの化膿の理論は否定され、傷からの感染による死亡率は激減した(消毒薬)。のちには、手や道具を消毒して無菌手術がおこなわれるようになった。手術面の大きな進歩のもうひとつは、麻酔法の発見である。エーテル、クロロホルムなどによる全身麻酔法や局所麻酔法が開発された(麻酔)。

4

手術

1809年、アメリカのマクダウェルは、卵巣腫瘍を切除する手術をはじめておこなった。45年にJ.M.シムズがはじめておこなった膀胱膣瘻孔(ろうこう)症をなおす手術は、多くの女性の命をすくった。

5

生理学

19世紀の医学は、「実験室医学」ともいわれ、生理学、病理学、組織学が大きく進歩した。ドイツのリービヒは、有機化合物の分析法を開発し、食料品の分析と代謝の研究をおこなった。ヘルムホルツは神経の興奮伝達速度をはかった。また感覚生理学の分野では、検眼鏡を発明し、さらに音響学の礎をもきずいた。フランスのベルナールは、膵(すい)臓と肝臓の働き、交感神経系について重要な発見をして、実験医学の創始者として知られている。消化器系と血管運動系の相互作用に関するベルナールの研究を発展させて、のちにロシアのパブロフ条件反射の理論をうちたて、行動主義の基礎をつくった。フランス系アメリカ人のブラウン・セカールは、内分泌系の研究をして、内分泌学に対する関心を高めた。

VIII

日本の医学

先史時代の医学については、ほとんどわかっていない。「古事記」「日本書紀」に当時の医療がいくつかしるされている。日本の医学は、中国や朝鮮半島からつたわったものであり、仏教信仰と強くむすびついている。伝染病が多くの人の命をうばうたびに、仏教への信仰がひろまり、悲田院、施薬院などがつくられた。9世紀以降、中国の医学をもとに、何人もの日本人医師が医学書を書いている。12~16世紀には開業医があらわれ、自分たちの医術を「流」として代々つたえた。

16世紀半ばになると、キリスト教とともに西洋医学もつたわってくる。各地に病院がつくられたが、イエズス会が医療事業禁止命令をだし、さらに1587年に日本で豊臣秀吉のキリシタン禁止令がだされると、病院も自然にきえていった。西洋医学は南蛮流としてとくに外科に影響をのこした。江戸時代は鎖国のため、日本独自の漢方医学が展開する(漢方治療)。

一方で、長崎を中心にオランダ医学がつたわり、18世紀後半には、杉田玄白などがオランダの医学書にもとづいて人体解剖をおこない、「解体新書」を刊行した。1823年(文政6)、シーボルトの来日によって、西洋医学はさらに勢いづいた。58年、幕府は蘭方医伊東玄朴を奥医師としてみとめ、ついにオランダ医学を解禁した。同年、蘭方医が江戸に牛痘接種所を設置し、天然痘の予防接種をおこなった。この施設が61年、幕府直轄の西洋医学所となる。江戸時代にも何度か伝染病が流行したが、とくに外国からはいってきたコレラなどの新しい伝染病が、西洋医学の導入に大きな影響をあたえた。

明治にはいると、政府はドイツ医学を採用することを決定して、教育制度などをととのえていった。一方で漢方医学は衰退の道をたどることとなる。西洋医学はますます発達し、北里柴三郎志賀潔鈴木梅太郎など、世界的な学者が次々とあらわれる。しかし、2つの世界大戦の間、医学は兵器として利用されるという暗い面ももつ。戦後、健康保険などの制度がととのい、医療技術も大きく進歩した。

IX

20世紀の医学

20世紀、ワクチン、抗生物質の開発と生活環境の改善によって、人間は多くの感染症を征服した。生活そのものの質をみなおそうという考えも、20世紀になっておこってきた(クオリティ・オブ・ライフ)。新しい発見も数多く、とくに遺伝子や、の機能の化学的・物理的メカニズムに関する発見はめざましいものがある。また、高度な機械が開発され、診断、治療が飛躍的に進歩した(画像診断内視鏡診断放射線医学)。

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