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  • ローマ神話 - Wikipedia

    ローマ神話 (ローマしんわ)とは、 古代ローマ で伝えられた 神話 である。そのうちローマの建国に関する部分について、歴史的事実を反映したものとして解釈した場合の詳細は 王政ローマ を参照のこと。

  • マルス (ローマ神話) - Wikipedia

    マールス ( ラテン語 : Mārs) は、 ローマ神話 における戦と農耕の 神 。 日本語 では「 マルス 」や「 マーズ 」と呼ばれる。 英語 読みは「 マーズ 」(Mars)である。 [編集] 概要 元の名は マーウォルス ( マウォルス 、 Māvors )であるらしく、また ...

  • ギリシャ・ローマ神話

    ユピテル( Jupiter) :その名は「天なる父」をあらわす ローマの主神 で、ギリシャのオリュンポスの主神であるゼウスと同一視された。 オリュンポスとはギリシャのテッサリア地方に聳える高峰で、その山上に神々が住んでいるといわれた。

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ローマ神話

ローマ神話 ローマしんわ
百科事典項目
項目構成
3

新しい要素の導入

最初期の神々の中で、とくに高い位置にいたのは、ユピテル、マルス、クイリヌスの3神、そしてヤヌスとウェスタだった。初期の時代には、これらの神はほとんど個性がなく、ギリシャの神々とちがって擬人化されていなかったので、活動に関する記述は少ない。結婚をめぐる関係や系図も欠落していた。この時代の崇拝には、ローマの伝説上の第2代の王ヌマ・ポンピリウスが関係してくる。この学問と知恵にたけた王は、泉と出産の女神エゲリアを妻としてしたがえ、ことあるごとに助言をもとめていたと信じられていた。しかし、新しい要素も比較的はやい時期につけくわえられた。たとえば、ローマ地域において最高の地位につくことになった。ユピテル、ユノミネルバの三大神確立の伝説は、王家タルクイニウス家からはじまったとされる。そのほかの新たな要素は、アウェンティヌス丘におけるディアナの崇拝と、神託を記録した予言書「シビュラの書」をギリシャから導入したことだった(シビュラ)。これによりギリシャの神話との接点がみいだされただけでなく、この予言書はのちのローマの祭政に大きな影響をあたえることになった。

III

ローマ以外の神々

ローマ国家が周辺に領土を拡大していくにつれて、被征服地の土着の神々は吸収されていった。ローマ人はこのような征服地の神に、ローマ国家にとっては特別な存在だった以前の神と同じ栄誉をあたえた。多くの場合、新しく獲得された神は、正式にはローマの新しい聖地に居をおくようもとめられた。さらに、ローマが発展するにつれて多くの外国人がやってきたが、彼らは自分たちの神々を崇拝しつづけることを許可された。

また、征服地の拡大は、ディアナ、ミネルバ、ヘラクレス、ウェヌス(ビーナス)などといったローマの神々の崇拝をひろめるのにも貢献した。この中にはイタリアの神もいれば、その起源をギリシャにさかのぼる神もいた。ギリシャの神々と、それに類似した重要なローマの神々は同一視され、特質と神話がひきつがれた。対応しない神々はギリシャ名をラテン名にかえて、ローマ神話にとりいれていった。

IV

神々の祭り

ローマの宗教暦は、征服地の神々とその祭儀に対するローマの寛容ぶりを反映していた。もともとローマ人の宗教祭祀は数が少なかった。もっとも古いもののいくつかは、原始農民の豊穣と贖罪の儀式の痕跡をとどめながら、キリスト教がローマ帝国の国教となるころまで生きのこった。新しい神々の帰化をしるすために新しい祭りが導入されていったが、あまりに多くの祭りが採用されたため、会議や裁判をひらける平日のほうが少なくなったほどである。ローマの宗教儀式で重要な祭祀には、サトゥルナリアやルペルカリア、軍神マルスをたたえる祭り、百年祭などがあった。

サトゥルナリアは、冬至をはさむ12月17日~23日の7日間おこなわれた。すべての仕事は中断され、奴隷は一時的な自由をあたえられ、贈り物が交換され、陽気なお祭り騒ぎが各地でくりひろげられた。ルペルカリアは田園と牧人の神ルペルクス(ファウヌスの別名)をたたえる古代からの祭りで、パラティヌス丘のルペルカルの洞窟で2月15日にいわわれた。

パラティヌス丘は、ローマの伝説上の建国者である双子のロムルスとレムスが狼(おおかみ)にそだてられたと考えられた場所でもあった。ロムルスとレムスに関係するローマの伝説には、ほかにファウストゥルヌスの伝説がある。ファウストゥルヌスは、雌狼の洞穴の中で双子を発見して家につれかえったとされる羊飼いで、妻のアッカ・ラレンティアに双子をそだてさせたという。

マルスをたたえる祭りは、軍事行動が開始される3月と終止期の10月にもよおされた。3月にはマルスの神官団サリイが戦争の踊りを披露し、10月にはマルスの祭壇のあったカンプス・マルティウス(マルスの馬場)で2頭立ての戦車競争がおこなわれた。百年祭には、見世物競技と人身供犠の両方がふくまれていた。時期は不規則だが、およそ1世紀に1回、新しい時代の開始を記念するためにひらかれた。

V

ローマの神殿

ローマにある神殿の数と建築も、他の宗教に対するこの都市のひろい受容性を反映している。カンプス・マルティウスにあるイシスとセラピスの神殿は、エジプトの神イシスのギリシャ化された崇拝に場所をあたえるため、エジプトの資材と様式で建造されたもので、ローマの宗教建築の多様性を象徴するものであるといえる。もっとも注目すべき神殿は、ユピテル・カピトリヌス神殿とパンテオンである。カピトリヌス丘にあるユピテル・カピトリヌス神殿は、前509年に完成してユピテル、ユノ、ミネルバにささげられた。はじめはエトルリア様式でたてられ、ローマ帝国のもとで再建や修復を数回かさねたが、最終的には455年にバンダル人に滅ぼされた。パンテオンは皇帝ハドリアヌスの在位中(117~138)にたてられ、すべての神にささげられた。607年にキリスト教会となり、現在ではイタリアの国家記念物となっている。

VI

ローマの宗教の衰退

ギリシャ神話の神々の擬人的な特質がローマの宗教へ移行し、ローマの人々の間にギリシャ哲学が普及すると、古来からの儀式はますます軽視されるようになった。前1世紀には、古くからの聖職者の職の宗教的重要性は急速におとろえた。貴族のつとめとしてこれらの聖職者を儀式にまねく多くの人々は、政治的必然性のほかには何の信仰ももっておらず、教育をうけていない大勢の人々は、しだいに異国の儀式に興味をもっていった。にもかかわらず、大神官と卜占(ぼくせん)官の地位は、相かわらず人気の高い政治職だった。

旧制度の徹底的改革と修復が、自らも聖職者階級の一員となった帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスによって実行された。かりに、かつての儀式は精神性とほとんど無縁であり、神に儀式をささげれば身の安全があたえられるというにすぎなかったとしても、儀式によって敬神と宗教的修練は促進されていた。したがってアウグストゥスは、国内の秩序をまもる手段として儀式をそだてた。この時代に、トロイア戦争の英雄アエネアスによるローマ建国伝説が、ウェルギリウスの「アエネーイス」によって有名になった。

アウグストゥスによりはじまった改革にもかかわらず、帝国におけるローマの宗教は、ますます皇帝家に集中していき、ついに皇帝は死後に神格化されるようになる。こうした神格化は、帝国の確立以前にカエサルによってすでにはじまっていた。皇帝のアウグストゥス、クラウディウス1世、ウェスパシアヌス、ティトゥスも神格化され、ネルウァの統治(96~98)ののちには、ほとんどの皇帝が神格化されていった。

いっぽう、ローマ帝国の国民の心はしだいにギリシャ・ローマの神々からはなれて、エジプトの女神イシスの崇拝、ミトラス教の崇拝など、東方起源の諸宗教が人気をえて普及していった。

ネロからディオクレティアヌスの時代までつづいた迫害にもかかわらず、キリスト教は着実に改宗者をふやし、コンスタンティヌス1世のもとで313年にミラノ勅令によってローマで公認された宗教となった。そして、392年、テオドシウス1世によってすべての異教の崇拝は禁じられ、キリスト教は国教となった。

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