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陶磁器

陶磁器 とうじき
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長次郎作、赤楽茶碗「夕暮」長次郎作、赤楽茶碗「夕暮」
項目構成
2 B

ローマ

ギリシャ陶器を大量に輸入していたエトルリアでは、「ブッケロ」とよばれる薄手の黒色磨研土器がつくられた。また、寝椅子(いす)によこたわる等身大の夫婦像をあらわしたテラコッタの陶棺はチェルベテリでつくられたといわれ、エトルリア独特のものである。

つづくローマ人は、ギリシャやエトルリアの黒色陶器にかわって、ていねいにみがきあげた赤色磨研陶器をこのんだ。赤色の光沢をだす技法はヘレニズム時代後期に東地中海域やカンパーニア地方で発達したものであった。「テラ・シギラタ」(「印を押された土」の意)とよばれるこの赤色磨研陶器は、土型をもちいて大量生産された日常食器であった。型には、あらかじめルーレット(点線をつける道具)などによる連続文や人物像が印刻されたり、細部には手彫りで文様がほどこされていた。成形後、半乾燥された陶器は珪土を精製したスリップにつけてから、酸化炎で高火度焼成される。装飾にはスリップをもりあげてつけるバルボティン技法や、貼付も併用される。意匠や器形の多くは、金属器やカット・グラスからとりいれられた。

アレティウム(現在のアレッツォ)がテラ・シギラタ生産の中心地で、なかでも前1世紀から後1世紀の間につくられた最良のものは、アレタイン陶器ともよばれている。ローマ帝国の拡大とともにテラ・シギラタは各地に輸出されたが、同時に、首都から遠くはなれたフランスやドイツ、スペイン、イギリスなどの地元の窯業地でもテラ・シギラタの模倣品がつくられ、現地での需要をみたした。1世紀以降に南フランスでつくられたテラ・シギラタにはすぐれたものが多い。

このほかローマ時代には、ギリシャ以来の黒色磨研陶器、緑や褐色の鉛釉陶器も生産された。これらの技術も広大なローマ帝国領にあまねくひろまり、各地の窯業地に影響をあたえた。イギリスではカストール陶器とよばれる焼き物が生まれた。カストール陶器は、ケルトの金属工芸をまねて、表面の土をつまんで突起をつくったり、白色スリップでかざった陶器である。ローマ時代の緑や褐色の鉛釉陶器の技術は、ビザンティン帝国にひきつがれた。

3

イスラム陶器

ウマイヤ朝(661~750)最初のイスラム世界の陶工たちは、さまざまな古代の陶芸の伝統をうけついでいた。それは、ローマ時代以降のエジプトで知られていた、石英をふくんだ素地に青釉と緑釉をかけたフリット・ウェア、アケメネス朝(前6~前4世紀)以来のシリア、メソポタミア、イランで知られていたアルカリ釉陶器、それにビザンティンの陶工たちにひきつがれていたローマの鉛釉陶器などである。また、中国からもたらされる白磁や青磁、青花は、つねにイスラム陶器に影響をおよぼし、変革をもたらした。古代からの長い伝統をもつ無釉土器は、スタンプや貼付による浮彫装飾をほどこされ、日常の雑器としてつくられつづけた。

3 A

中世アラブの様式

9世紀、アッバース朝のカリフたちは、地元の陶工たちに土地の土と釉薬をつかって唐の陶磁器を模倣するよう奨励した。アラブの陶工たちは独自の技法でこれをこころみ、固有の様式を発達させていった。中国の唐・宋代の白磁はイスラム世界でもこのまれ、これを模倣して、鉛釉に錫酸化物をまぜた錫釉で素地を白くした陶器がつくられた。錫白釉陶器には、藍や緑彩でアラビア語の銘文や草花文などを自由奔放な筆致でえがいたり、緑、黄、褐色の三彩釉をかけて唐三彩風の陶器をつくり、掻落しや刻線で文様をほどこした。

イスラム世界の独自性がもっとも発揮されたのはラスター彩陶器であった。ラスター彩は、錫白釉をかけて焼成した素地の上に、銀、銅などの酸化物や硫化物をふくむ顔料で文様をえがき、低火度で還元炎焼成することによって、赤や青銅色、黄色などのうつくしい金属光沢を生みだす技法で、金属工芸をこのんだイスラム世界でことのほか愛好された。ラスター彩は白地のほか青や藍釉地にももちいられた。10世紀になって陶工がイラクからイスラム世界の西方に移住すると、ラスター彩の技法も伝播(でんぱ)した。錫白釉と同様、ラスター彩陶器はアラブ占領下のスペインを通じて、ヨーロッパに多大な影響をおよぼした。また、イランやファーティマ朝(909~1171)のエジプトでも人気を博した。

3 B

イランとトルコ

イラン、イラク、小アジア、それにシリアを11~12世紀に支配したセルジューク朝は、素地そのものに石英や白土をくわえ、磁器にかわる白釉陶器を開発した。イランのレイやカーシャーンといった町がこの白釉陶器の生産の中心地であった。白釉陶器の表面には、彫刻や型押しなどの技法で花文などがほどこされ、青や藍の鮮やかな釉がかけられた。

セルジューク朝のもうひとつのすぐれた焼き物はミナイ手陶器である。「ミナイ」というのは「エナメル」を意味するペルシャ語である。ミナイ手は、赤、黒、白、金など多彩な釉上エナメルをもちいて絵付をほどこした陶器で、ミニアチュールのような絵柄や物語の場面、アラベスク文様などが繊細かつ稠密(ちゅうみつ)にえがかれている。セルジューク朝では、ラスター彩陶器にもミナイ手に似た入念で華麗な絵付がほどこされた。また、青や緑などの単彩釉陶器や、青や白の地に黒彩で文様をえがいた陶器、黒色のスリップをかきおとして影絵のように図柄をうきたたせた陶器などが発達した。

イラン西北部では、大胆な鳥の絵で知られるアーモル手、多彩釉と線刻で動物文を描いたアグカンド手、掻落し技法に特徴のあるガッルース手など、さまざまな地方色のある陶器がつくられた。建築装飾としてのタイルも発達し、カーシャーンを中心に、ラスター彩や青釉で複雑なアラベスク文様やアラビア文字の銘文をあらわしたすぐれたタイルが生産された。

13世紀のモンゴルの侵入以後は、中国の青磁の影響をうけた緑釉陶器や、青地に金彩をほどこした豪華なラージュバルディーナ手、表面の白土の盛り上げ装飾に特徴のあるスルターナバード手などの陶器がつくられた。また、ティムール朝(1370~1507)では、ヨーロッパに輸出された中国の青花磁器を模倣して、コバルト青による青花風の陶器が生産された。

サファビー朝(1501~1736)でも、中国の青磁や青花の模倣品が大量に生産されるいっぽう、クバチ陶器とよばれる個性的な焼き物がつくられた。クバチ陶器に特徴的な製品は釉下に多彩色で人物や草花をえがいた大型の皿で、釉には貫入が多くはいっている。クバチというのは、この手の陶器が大量に発見されたダゲスタン地方の町の名だが、実際の生産地はイラン北西部と考えられている。

16~17世紀には、ひじょうに薄手の素地に彫り込み装飾のある陶器がペルシャ湾のゴンブルーン港からヨーロッパへ輸出され、ゴンブルーン陶器の名で知られた。ペルシャの銅赤色のラスター彩陶器も、多彩色陶器と同様、17世紀に人気を博した。

クバチ陶器と同時代、トルコの陶器生産の中心地はイズニクであった。イズニクでは、オスマン帝国の征服以前から、ペルシャやアフガニスタンの陶器に影響をうけたスリップ絵付の陶器がつくられていた。オスマン朝以後は、白色素地にコバルトによる青、鮮やかなトルコ・ブルー、緑、トマトのような赤などの色彩を駆使し、特徴のあるチューリップなどの草花、人物や動物、帆船などを装飾的にえがき、透明釉をうすくかけたうつくしい陶器やタイルを大量に生みだした。イズニクにややおくれて発達したキュタヒヤでも同様の製品がつくられ、18世紀には自由闊達な絵付陶器の産地として知られた。

4

ヨーロッパ(18世紀末まで)

イスラムの錫釉陶器やラスター彩陶器は、13世紀から15世紀にかけて、スペインの陶器にひきつがれ、イスパノ・モレスク陶器とよばれた。スペインのラスター彩には金もつかわれた。これらの生産の中心地は、マラガやバレンシア地方のパテルナやマニセスであった。イスパノ・モレスク陶器は当時のヨーロッパでもっとも高品質の焼き物で、ヨーロッパ各地の貴族からの注文によって紋章をつけたラスター彩の大型鉢や、俗に「アルハンブラの翼壺」の名で知られる大型壺などがある。

イスパノ・モレスク陶器はマリョルカ島から輸出され、その影響をうけてイタリアでも多彩色で絵付をほどこした錫釉陶器が大量につくられた。イタリア・ルネサンスでひじょうに人気を博したこの陶器は、マリョルカのイタリア語名から、マヨリカとして知られた。

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