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Windows Live® の検索結果 1312~77 プランタジネット朝第7代のイングランド王。在位1327~77年。フランスとの百年戦争をはじめたことで知られる。エドワード2世の長男。母イザベラ(フランス王の娘)とむすんだ反国王派諸侯の手で父王が廃位においこまれたあと、1327年に14歳で即位した。当初はイザベラとその寵臣(ちょうしん)モーティマーが実権をにぎっていたが、エドワードは30年に宮廷革命をおこしてモーティマーを処刑し、母を監禁した。 1333年、内乱に乗じてスコットランドにせめいり、ベーリオル家のエドワードをスコットランド王として後押しした。イングランドに屈従的なベーリオルは国内の支持をえられず、エドワードの支援にもかかわらず王位をまもることができなかった。 1337年、フランス王フィリップ6世はイングランド王がフランスにもっていたアキテーヌ公領の没収を宣言した。エドワードはこれに対抗して、自らのカペー朝(→ カペー家)フィリップ4世の孫としてのフランス王位請求権を主張してフィリップ6世に宣戦し、百年戦争がはじまった。40年、フランドルのスロイス沖の海戦でイングランドが勝利をおさめ、停戦が成立した。しかし、46年にふたたび開戦し、エドワードは長子エドワード(黒太子)をともなってノルマンディにせめいり、クレシーの戦で大勝したのちカレーを占拠して、47年、停戦した。55年に再開された戦争でもエドワードは勝利をおさめ、60年のカレー条約によってアキテーヌの支配権を獲得し、それとひきかえにフランス王位請求をとりさげた。 1363年、義弟にあたるスコットランド王デビッド2世との間に、デビッドに男子の跡継ぎがない場合は両王国を統合するという協定をむすんだ。66年には、1213年以来の教皇との封建的主従関係を破棄し、フランスとの戦争も再開したが、75年の講和で、それまでに獲得したフランスの領土をほとんど返還することとなった。このころにはすっかりふけこんで、愛人のアリス・ペラーズとその息子のジョン・オブ・ゴーントが実権をにぎっていた。しかし、ペラーズは76年、議会によって追放され、翌年エドワードが死亡すると孫のリチャードが王位をついだ。
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