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コロンブス,C.

コロンブス Christopher Columbus
百科事典項目
項目構成
V

第3回・第4回航海:逮捕・送還

1498年5月に3回目の航海にでたコロンブスは、トリニダード島に上陸したあと、現在のベネズエラの沿岸を航行してパリア湾にはいり、オリノコ川の河口で上陸した。このときの航海日誌に、自分はこれまでヨーロッパ人が知らなかった「新世界」を発見したとしるした。その後、マルガリータ島などいくつかの島をへて、イスパニョーラ島にむかった。8月31日、サントドミンゴに着くと、バルトロメに対する反乱がおきていた。コロンブスは反乱者との和解につとめたが、入植者の不満はくすぶりつづけた。本国の王室は調査のためボバディーリャをイスパニョーラ島に派遣、1500年8月、コロンブス兄弟は逮捕され、鎖につながれてスペインに送還された。両王はコロンブス兄弟をゆるして報奨をあたえたものの、コロンブスの地位回復はみとめず、ニコラス・デ・オバンドを新総督に任命した。

4度目の航海では、いちおう王室の支援はえられたものの、虫食いのひどい小型船4隻しかあたえられず、イスパニョーラ島への寄港は禁じられた。1502年、カディスを出航したコロンブスは、ホンジュラス沖をとおって海岸沿いに南下し、西への航路をもとめてパナマ沿岸を6カ月近くさまようが、結局、徒労におわった。遠征中に2隻の船をうしなったのちイスパニョーラ島をめざすが、ジャマイカ島沖でついに難破、イスパニョーラに使者をおくって助けをもとめ、04年11月、スペインにもどった。

かなりの財をたくわえ、生活の不安はなかったが、晩年は病気にくるしめられた。フェルナンド王に特権の回復をもとめつづけたが、願いはききいれられず、1506年5月20日、バリャドリードで死去。

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