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中国に発生し展開した人間究明の思想の全体をさしていう。その発生は古代ギリシャやインドとならんで古く、また現代にいたるまで継続性のある特殊性を維持している。中国哲学の影響は、東アジアの漢字文化圏はいうまでもなく、近世以降はヨーロッパにもおよんだ。
古代から現代にいたる中国哲学の一般的性格を指摘するならば、まずは観念的な議論よりは現実的な実践を尊ぶこと、次に、自然を純粋に目的として考察するよりは、あくまで人間の側からの視点にたってものをみる人文主義の姿勢をもつことがあげられよう。 また、現実をみるのに常に対概念で意識するため、二元論的思考をとるが、同時にその二元を調和的に考え総合する姿勢をもつ。つまり絶対的な対立ではなく、あい反する2者の相互依存性を重視する対待(たいたい)の思想である。そのため、儒家(→ 儒教)の中庸思想にしめされるように、調和を尊重することにもなる。 こうした結果、純粋を尊んで孤立する傾向よりは、多少不正確であっても諸説を統合し融合することに熱心であるという傾向がみられる。
周は、殷を討伐することによって天下をおさめたが、それは天の命じたことであると理解された。人間界を支配する絶対者としての天を倫理的な中心にもっていたのである。
その信仰は、孔子にいたって個人の内面の倫理として深められた。孔子は社会の安定には君子による政治が必要であると考えたが、君子は天命を知る人でなくてはならない。それと同時に、具体的には、君子は仁の徳をやしない、礼を実践する人格者である。 弟子たちは君子をめざして教育された。孔子はその教育に「詩経」や「書経」の古典をもちいたが、こうした古典によって古代からの生き方の型である礼をまなび、この礼の実践によって周初の秩序の回復をもとめたのである。 またこの古典をまなびながら正直や忠恕(ちゅうじょ:真心と思いやり)や孝行といった個人的徳操をやしなわなければならないと教えた。これはつまり、家族的倫理の確立を国家の運営の基本とするというものであった。 この思想は当時の諸侯たちにはうけいれられなかったものの、このように教育された孔子の弟子たちの多くは、諸侯やその大夫(大臣)の家につかえて、政治の実務担当者となった。 封建秩序がくずれ、封建国家が独立性をもつようになり、たがいに領土をあらそう時代になると、それまでの部族貴族だけでは国家の運営はできなくなり、庶民層からも有能な人材の登用が必要になった。孔子の教育はそのような社会状況に対応する最初の試みであった。
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