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リビドーは、ラテン語で欲望、羨望をあらわす。A.モルが自著の中で性的な欲望をさしてもちいたものを、精神分析学を創始したフロイトが転用し、性の欲動の精神エネルギーをさすための用語としてとらえなおしたものである。精神分析学では、性の欲動をせまい意味の性欲(身体の性的興奮)に限定せず、むしろより広く愛の満足をもとめる欲望ととらえる。それゆえ、リビドーもまたたんなる性欲のエネルギーではなく、むしろ性愛の満足をめざすという精神的側面をさすエネルギー概念である。
リビドーは量的に増大したり減少したりするエネルギー概念であり、それが何にむけられるか(備給されるか)、どのように蓄積、放出されるか、何におきかえられ加工されるかという観点から、精神分析理論の構成において重要な位置を占める。まず、リビドーが何にむけられるかの方向によって、自我リビドー(自己愛リビドー)と対象リビドーに二分される。 精神分析理論によれば、リビドーは発達初期には自他未分化で、全能感に支配された原初的自我に備給されており、これを1次的自己愛リビドーとよぶ。それが、発達がすすむにつれて外的対象(たとえば母親)に備給されるようになる。これを対象リビドーとよぶ。たとえば、相手に恋愛感情をいだくということは、対象リビドーがその相手に備給されたということを意味する。ところが、自我は外的対象との間で摩擦や葛藤(かっとう)を経験すると、対象リビドーを自我の内にひきもどす。このように自我に撤収されたリビドーを2次的自己愛リビドーという。 精神分析学においては、精神病者の場合はこの2次的自己愛リビドーがふたたび対象にもどれなくなって自我の内部に鬱積(うっせき)し、その内部で過剰となるために自己誇大妄想や心気妄想が生まれると考える。また対象への備給がおこなわれないために、現実への無関心や内閉的態度が生まれるとされる。
フロイトはまた、このリビドーが発達の各時期に特定の身体部位(性感帯)に備給されるという考えにたち、口唇期、肛門期、男根期、性器期の4段階が区分されるとしている(→ 精神分析)。精神分析学は、各発達段階を支配するリビドー体制があること、そして人はその発達過程で早期のリビドー段階に固着することがあると仮定し、神経症の各症状をその固着点への退行であると説明する。たとえば、強迫神経症は精神分析学では肛門期への固着として、ヒステリー神経症は男根期への固着として説明される。
フロイトのリビドー概念は、当初より、すべてを性欲で説明しようとしているといった批判を内外からうけた。なかでもユングはリビドーを性的エネルギーよりももっと広い意味をもつ心的エネルギーとしてとらえるべきだとして、師のフロイトに対立し、決裂することになった。また、精神分析が米国に広がる中で生まれたネオ・フロイト学派からも、リビドー理論は生物学主義だとして批判された。 しかし、早期の性感帯やリビドー体制、あるいはリビドー発達段階に関する理論はともかく、人が人を愛したり、きらいになったり、あるいは人に自分を閉ざしたりすることを理論化しようとすれば、おそらくこのリビドー概念に類する概念装置が必要になってくる。その意味では、内外の批判にもかかわらず、この概念のもつ意味は大きいといわねばならない。
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