![]() |
Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 486~987年に、西ヨーロッパに君臨したフランク族の王国。ゲルマン人の民族移動の中で建国され、他のゲルマン諸部族国家を次々に征服して、最盛期にはヨーロッパ中央部をおおう広大な領土を有した。そして、その後のフランク王国の3分割は、今日のドイツ、フランス、イタリアのもととなった。 ゲルマン人の一部族フランク族は、3世紀半ば以降、ライン川下流域を中心とするガリア北部に居住していたが、ローマ人がガリア地方から撤退した5世紀後半に、フランク族の一支族サリ人が今日のドイツに相当する地域に部族王国の支配をうちたてた。そして、クロービスのもとで他のフランク族その他をしたがえて、今日のフランスに相当する地域をもふくむ広大な王国を建設し、486年にはガリアのほぼ全域を支配して「フランク族の王」を称した。 こうしてクロービスはメロビング朝の開祖となり、496年にカトリックに改宗して王国の基礎をかためていった。しかし王家は分割相続制を採用していたため、その後は分国化と内乱にあけくれ、その結果、地方豪族の台頭と教会権力の強大化をもたらし、各領土における封建的主従関係(→ 封建制)が王国の根幹を形づくっていった。 全フランクの宮宰職を兼任したピピン一族によって、751年に後期フランク王国であるカロリング朝がひらかれた。カール大帝(シャルルマーニュ)は、800年、教皇から西ローマ皇帝位をさずけられ、今日のドイツ、フランス、イタリア北半にまたがる全ゲルマン世界を自己の王国にくみいれた。カール大帝の死後の843年に、王国は大きく3分割され、さらに870年の再分割によって東フランク、西フランクが固定した。東フランクでは919年にハインリヒ1世によってザクセン朝(→ ザクセン)がたてられて今日のドイツのもととなり、西フランクでは987年にカペー朝(→ カペー家)がひらかれて今日のフランスのもととなった。 フランク王国は、古代のゲルマン世界を統一し、ローマの文化を受容してヨーロッパ全域にひろめ、後代にギリシャ・ローマ古典文化をつたえる役割をはたした。とくに、カール大帝の時代には、カロリング・ルネサンスとよばれる文化的繁栄をもたらした。宗教の面では、カトリックをうけいれることで王国の支配を強化したが、一方、北イタリアの征服地をローマ教皇に寄進して教皇権の強大化にも貢献した。制度面では、古代王制から出発して王国内に封建制を定着させたが、これは農業経済の発展をもたらした。中世初期のヨーロッパが一定の統一性と共通性をもつことができたのは、フランク王国に負うところが大きい。
© 1993-2008 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2008 Microsoft
![]() ![]() |