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項目構成
プロローグ; 修業時代と初期作品; 青の時代; ばら色の時代; 前キュビスムの時代; 分析的キュビスムと総合的キュビスム; キュビスムの彫刻; 写実的作品とシュルレアリスム作品; 1930年代初期の絵画; ゲルニカ; 第2次世界大戦とその後; 後期作品
スペイン内戦のさなかの1937年4月26日、スペインの独裁者フランコの要請で、ドイツ空軍がバスク地方の町ゲルニカを爆撃した。巨大な壁画「ゲルニカ」はその直後に着手され、2カ月足らずでしあげられて、37年のパリ万博スペイン館に展示された。牛や瀕死(ひんし)の馬、たおれた兵士、母親と死んだ子供、もえさかる建物の中にとじこめられた女性、にげまどう人々、ランプをかかげて窓から身をのりだす人物……。爆撃事件をありのままえがくのではなく、これらのイメージを重ねて、ピカソの憤怒(ふんぬ)が表現された。 その象徴的意味は複雑で、断定的な解釈は不可能であるが、戦争の恐ろしさをまざまざと表現したこの作品に、人々は大きな衝撃をうけた。「ゲルニカ」は、1939年から81年までニューヨーク近代美術館に展示されていたが、スペインに返却されてマドリードのプラド美術館所蔵となり、92年に、マドリードに新設されたソフィア王妃アートセンターにうつされた。「ゲルニカ」の制作過程は、ピカソの新しい恋人ドラ・マールによって写真撮影されている。
第2次世界大戦(1939~45)の勃発(ぼっぱつ)によって、ピカソのパレットはいくらか暗さをまし、「雄の子牛の頭蓋骨のある静物」(1942)や「納骨堂」(1945)などの死を主題とする作品が数多く制作された。1940年代には女流画家フランソワーズ・ジローとむすばれ、やがてクロード、パロマの2人の子供が誕生する。この3人は、初期の様式を思わせる作品に何度も登場している。 肖像がえがかれた最後の女性は、1953年にであい、61年に結婚したジャクリーヌ・ロックである。以後、ピカソは南仏ですごすことが多くなる。
後期の作品には、ベラスケス、クールベ、ドラクロワ、マネなど過去の巨匠の作品を翻案したものが多い。絵画以外のさまざまな技法にも手をそめ、パリの有名な版画工房「アトリエ・ムルロ」では数百点のリトグラフを制作した。陶芸にも関心をしめし、1947年には南仏のバローリスで2000点近い陶芸作品をつくっている。 この時期には彫刻の傑作も生まれている。等身大をこえる「羊と男」(1944)では平和と希望が表現され、ブロンズの「牝山羊」(1950)では、植木鉢や籠(かご)によるアッサンブラージュがもちいられ、ユーモラスな魅力がかもしだされた。1964年には、シカゴ市民センターから依頼をうけて、高さ18.3mの彫刻「女の頭部」の鋼鉄製マケット(雛型)を完成(除幕式は1967年)。68年には、サーカス、闘牛、芝居、性愛など、かつての主題をふたたびとりあげ、7カ月の間に347点もの版画「347のシリーズ」も制作している。 ピカソの個展は、生前に何度もおこなわれたが、なかでも1971年にパリのルーブル美術館で開催された展覧会は、きわめて異例なものだった。90歳の誕生日を記念しておこなわれたものだが、それまで同美術館では存命中の美術家の作品が展示された例はなかった。73年4月8日、ピカソは南仏のムージャン近郊の別荘「ノートル・ダム・ド・ビィー」で没する。80年には、ニューヨーク近代美術館で大規模な回顧展が開催されている。
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