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衝撃や熱によって急激な燃焼反応をおこす物質の総称。一般的には発射薬、推進薬を火薬とよび、爆薬や花火などの火工品とは区別している。 化学的に分類すると、音速をこえる速度で反応するものを爆薬といい、それ以下の速度で反応するものは火薬という。この分類では、ニトログリセリンは爆薬である。化学構造での分類では、1種類の物質で爆発性のあるものを化合火薬、酸化剤と可燃性物質を混合したものを混合火薬という。用途で分類する場合は、鉄砲(→ 小火器)から弾丸を発射するために使用するものを発射薬、ロケットの推進エネルギーにつかうものを推進薬としている。→ 爆発物:爆弾
火薬は、羅針盤、印刷術などとともに中国人の発明とされている。中国人によってはじめて調合された火薬は、黒色火薬とよばれるもので、カリ硝石、硫黄、木炭を調合したものだった。この発明にかかわったのは、春秋戦国時代以降、方術とよばれる神秘的な技術や技芸にたずさわった方士たちだった。 とくに、秦の始皇帝を筆頭にした権力者たちは、不老長寿の術に関心をよせ、その研究にたずさわった方士たちは重用された。黒色火薬は、薬物学者でもあった方士が、不老長寿の薬をつくるために、さまざまな調合をおこなった際に、カリ硝石と硫黄と木炭をまぜあわせるとできる、独特な性質の物質として発見された。 しかし、唐代の道家によって書かれた「真元妙道要路」には、カリ硝石、硫黄、雌黄(硫黄とヒ素の化合物)のはげしい燃え方についての記載がみられることから、黒色火薬は、唐代の道家(→ 道教)によって発明されたものとも考えられている。のちに軍事的用途にももちいられたが、薬物としても使用された。 宋(北宋)の仁宗時代の1044年、曾公亮が書いた「武経総要」(全40巻)には、黒色火薬の製造法とともに、火器としての使用法に関する記載がみられる。これらの火器は、金と北宋の戦いで実際に使用されたといわれ、さらに、黒色火薬の知識はモンゴル帝国にひきつがれ、元寇の際に日本人は、はじめて火薬と火器の恐ろしさにふれた。またそれ以前、モンゴル軍の遠征によって火薬の知識がイスラム諸国につたわり、それがヨーロッパへつたえられて、近代火薬へと発展していった。
13世紀になると、イギリスの修道僧ロジャー・ベーコンによって、ヨーロッパではじめて火薬がつくられたとされている。また、14世紀初頭には、ドイツの修道僧ベルトルト・シュワルツが、ヨーロッパではじめて発射薬に火薬をつかった、という説があるが確かではない。しかし、1334年にイングランドで火薬を製造し、40年にドイツに火薬工場があったのは、史実から明らかである。 エリザベス1世(1558~1603)治世下のイングランドでは、火薬は王室の専売事業であった。イングランド最古の火薬関連法規は、1623年に制定されている。また、同年には、黒色火薬よりも爆発力がはるかに強い、雷酸塩の火薬がヨーロッパの戦場ではじめてつかわれた。 近代的な火薬の製造は、1833年にアンリ・ブラコノが、デンプンのエステルを製造したのが最初である。46年にはクリスチャン・シェーバインがニトロセルロースを製造。同年アスカニオ・ソブレーロがニトログリセリンを発明している。また62年にはノーベルが、スウェーデンの首都ストックホルムに爆薬工場を建設し、多数の実用的な爆発物を製造した。 日本に火薬がつたわったのは、種子島に鉄砲が伝来した1543年(天文12)のことである。黒色火薬の原料となる3つのうち、カリ硝石をのぞく2つの原料は、日本で豊富に産出するもので、戦国時代という背景もあり、短期間のうちに各地にひろまっていった。→ 鉄砲伝来
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