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鉱物資源はとぼしいが、北部では、ソ連の援助によって1960年代に開発されたガス田で天然ガスの採掘がおこなわれている。内戦によって新たなガス田の掘削はうちきられたが、資金を投下すれば経済復興事業の核になるものと期待されている。そのほかの産物に石炭、銅、岩塩がある。石油はヒンドゥークシュ山脈の北側の地域にかなりの埋蔵量があるが、戦乱のせいでまだ採掘されていない。
1960年代から70年代に、工業は大きく飛躍した。65年に西ドイツ資本の巨大な紡績工場がたつと、羊毛織物の生産量は倍以上にのびた。このほか、輸出品でもある靴の製造工場、国営のセメント工場、果物加工工場などがある。家庭内手工業では絨毯織りがある。 アフガニスタンの外国貿易は、ほとんど政府か政府系企業ににぎられている。2000年の年間輸出総額は1億2500万米ドル、輸入総額は5億2420万米ドルだった。輸出品目は果物、乾燥果物、絨毯、ヒツジの毛と皮、靴などで、インド、パキスタン、ロシアなどが輸出相手国である。輸入品目は機械、自動車・オートバイなど輸送機器、医薬品、衣料・雑貨、食料などで、おもな輸入相手国は中国、日本、パキスタン、インドなどである。
1930年代前後から鉄道建設が構想されているが、いまだ実現せず、山が多いため国内の移動はかぎられている。道路の全長は3万4782km(2004年)だが、舗装されているのは24%(2004年)にすぎない。物資の運搬には、ラクダなどの動物が広くつかわれている。川は幅が狭く流れもはやいため、おもに木材をはこぶために利用されている。 カブールと各主要都市はハイウェーでむすばれており、パキスタンとは東部にあるカイバー峠で通じている。春にはしばしば洪水にみまわれるため、道路の補修はこの国の重要な課題となっている。また、戦乱で破壊されたトンネルや道路の修繕と、閉鎖されていた鉄道・航空路の再開通もすすめられている。
ソ連のアフガニスタン侵攻以来の内戦が、環境をはじめ生活のあらゆる側面に被害をおよぼしている。国連環境開発会議に提出された報告書によれば、アフガニスタンでは環境よりも貧困や健康などの社会・経済的な問題が第1の関心事となっている。 アフガニスタンは過剰放牧と土壌浸食(→ 浸食)という問題をかかえている。かつて耕地だった土地の3分の1は、利用がむずかしいとされ、さらに国土の大部分の砂漠化が進行している。長期の戦乱によって貧困がいっそう悪化した一方、不発弾や地雷原といった内戦の置きみやげが住宅地および田園地帯にのこされた。自然の保護区を設置するにも地雷処理が前提条件となっている。森林伐採は、調理や暖房用に家庭でつかわれる薪のため、急速にすすんでいる。また、食料不足を野生生物でおぎなうという現状であり、戦争と貧困によって、生物多様性にどんな影響が出ているかはまだ明らかではない。これまでの調査では、少なくとも100種の哺乳類(ほにゅうるい)が確認されているが、その中には絶滅危惧種のユキヒョウやコウジョウセンガゼル、シカの1種などがふくまれる。鳥類は380種が確認されており、そのうち、約200種は国内で繁殖する。 アフガニスタンの保護区システムは、まだ初歩的段階にある。現在のところ、昔からの禁猟区、野生生物の生息する3つの特別区域、国立公園の名残が1つある程度である。しかも、この国立公園は法的に規定されたものではない。これらの区域が設定された当初は、アフガニスタンは多くの保護区を設置する予定であり、イランの支援で人員の養成もおこなわれていた。1970年代には、国連や世界野生生物基金(現、世界自然保護基金)からの支援をうけ、環境アセスメントや自然保護区計画が実施された。91年時点では、野生生物の特別区域2カ所と国立公園が保護区として存在していたが、実質的にはほとんど保護活動がなされていないと思われる。
1973年に国王が追放され、君主制にかわり共和制が誕生した。77年2月に公布された憲法では、1党支配でイスラム教を国教とし、立法権は上院と下院からなる国会にあるとされた。しかし、78年4月にクーデタで憲法は廃止され、革命評議会が政権をにぎった。 ソ連に支持された人民民主党(共産党)政権は、1987年に新憲法を公布して、大統領を間接選挙で選出し、その任期を7年とさだめた。国民評議会は上院と下院からなり、人民民主党が政権をにぎっていたが、234議席中の50議席は野党のために確保された。89年にソ連軍が撤退し、92年4月に人民民主党政権がたおれ、暫定政権が設立された。同年12月、大統領を選出する間接選挙がおこなわれ、イスラム協会のラバニが選出された。しかし、政権は不安定で93年に成立した連合政権も、同年末にはヘクチャル首相が辞任を表明するなど、旧ソ連占領軍とたたかった各派の間で内戦をふくむ権力闘争がつづき、96年9月にイスラム神学生を中心とする新興勢力タリバーンが暫定政権を設立した。 タリバーン政権は2001年10月、アメリカと北部同盟など反タリバーン勢力からの攻撃をうけ崩壊。反タリバーン勢力4派は国連など国際社会の協力をえて協議を重ね、12月に新暫定政権を樹立。カルザイ大統領が指揮をとる移行政権のもとで、04年1月に新憲法が制定された。新憲法では、イスラム教を国教とする共和制が採用され、国民の直接選挙によってえらばれる大統領と、上下両院からなる議会によって統治されることとなった。下院(国民議会)議員は国民の直接投票によって選出され、定数249。定数102の上院(長老議会)議員は3分の2が34の州議会によってえらばれ、残り3分の1は大統領が任命する。新憲法のもと04年10月におこなわれた大統領選挙でカルザイが選出され正式な政府が発足、05年9月には下院と州議会の選挙も実施され、それにともない上院議員も選出・指名された。
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