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  • アフガニスタン - Wikipedia

    日本語の表記は、 アフガニスタン・イスラム共和国 。通称 アフガニスタン 。漢字表記は 亜富汗斯坦 。 [編集] 国名の変遷 1834年 - 1926年 アフガニスタン首長国 1926年 - 1973年 アフガニスタン王国 1973年 - 1978年 アフガニスタン共和国

  • 外務省: アフガニスタン・イスラム共和国

    福山外務副大臣のカルザイ・アフガニスタン大統領表敬(概要)(平成21年11月) 日アフガニスタン電話首脳会談(平成21年11月) 「テロの脅威に対処するための新戦略」(アフガニスタン・パキスタンに対する日本の新たな支援パッケージ)(平成21年11月)

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アフガニスタン

アフガニスタン Afghanistan
百科事典項目
マルチメディア
オオフラミンゴオオフラミンゴ
項目構成
VII

歴史

アフガニスタンが最初に歴史に登場したのは、アケメネス朝ペルシャに占領された前6世紀のことだった。前330年ごろにはアフガニスタンを支配していたペルシャ帝国ごとアレクサンドロス大王に征服され、前323年に大王が死ぬと、セレウコス1世にひきつがれ、その後、インドのマウリヤ朝の始祖、チャンドラグプタのものとなった。

北部に前256~前130年ごろに繁栄したギリシャ系のバクトリア王国がつくられた。ついでイラン系遊牧民のサカ族へ、そして仏教を導入したクシャーナ朝へとつづき、3~4世紀には、ササン朝ペルシャの西からの攻勢がつづいた。7世紀半ばにアラブ人が侵入してきたころには、エフタル族がアフガニスタンを支配していた。

1

初期のイスラム王朝

アラブはアフガニスタンに多大な影響をおよぼしたものの、この地には仏教ゾロアスター教の信徒が多く、イスラム教が優勢な宗教になるまでには数世紀かかった。10世紀後半から11世紀には、カブールの南、ガズナに建国されたトルコ系イスラムのガズナ朝によって支配され、さらにガズナ朝をたおしたイラン系のゴール朝(1148~1215)のもとでイスラム文化が繁栄した。

ゴール朝はインド北部に勢力を拡大したが、1220年ごろに南下してきたモンゴルのチンギス・ハーンによってほろぼされた。その結果、アフガニスタンのほぼ全域がモンゴル帝国の支配下におかれ、14世紀末にモンゴルのティムールがアフガニスタン北部を制圧した。ティムールの後継者のバーブルは、インドにムガル帝国を建国し、1504年ごろカブールを征服した。16世紀後半になると、イランからはサファビー朝が、北からはウズベク人が侵入した。

2

アフガン国家の建国

17世紀に入ると、アフガン人も力をもつようになり、パシュトゥーン人の一派、ギルザイ系のアフガン人が1722年にイランの首都イスファハーンを占領した。しかし、支配は長続きせず、ナーディル・シャーひきいるイランの反撃にあい、38年にはアフガン全土はイランの支配下に入った。47年、ナーディルが暗殺され、アフガン族はアフマド・シャー・ドゥッラーニーをみずからの指導者にえらび、アフガンの国ドゥッラーニー朝を建国した。

アフマド・シャーは次々と領土を拡大していったが、彼の後継者の代になると徐々に国は衰退していき、1818年に崩壊した。その後しばらく無政府状態がつづいたが、26年にドースト・ムハンマドがアフガニスタン東部を支配し、35年にアミール(ペルシャ語、トルコ語ではエミール)の称号をえた。

3

イギリスとの紛争

この間、ドースト・ムハンマドはパンジャブ地方におけるアフガンの権利をみとめるよう、インドのイギリス植民地行政府にもとめた。しかし直接支配をねらうイギリスに拒否されたため、南下して勢力を拡大するロシアに助けをもとめた。

3 A

第1次アフガン戦争

イギリスはロシアがインド国境にまでおよぶことをおそれ、カブールからロシアを撤退させるようムハンマドに最後通牒(つうちょう)を出した。しかし、これが拒否されたため、1838年にイギリス・インド軍がアフガニスタンに侵攻し、第1次アフガン戦争(1838~42)がはじまった。39年8月にカブールが陥落し、アフガニスタンはイギリスの手におち、ムハンマドの代わりにシャー・シュージャが王位についた。

しかし1841年11月に、ムハンマドの息子アクバル・カーンがシャー・シュージャとイギリスに対して反乱を成功させた。42年12月にはイギリスは完全に撤退し、ムハンマドは王位にかえりざいた。イギリス占領下のインドとアフガニスタンの間に緊張がつづいたが、55年にムハンマドはインド政府と和平協定をむすんだ。

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