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  • アフガニスタン - Wikipedia

    日本語の表記は、 アフガニスタン・イスラム共和国 。通称 アフガニスタン 。漢字表記は 亜富汗斯坦 。 [編集] 国名の変遷 1834年 - 1926年 アフガニスタン首長国 1926年 - 1973年 アフガニスタン王国 1973年 - 1978年 アフガニスタン共和国

  • 外務省: アフガニスタン・イスラム共和国

    福山外務副大臣のカルザイ・アフガニスタン大統領表敬(概要)(平成21年11月) 日アフガニスタン電話首脳会談(平成21年11月) 「テロの脅威に対処するための新戦略」(アフガニスタン・パキスタンに対する日本の新たな支援パッケージ)(平成21年11月)

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    協力内容 アフガニスタンへの協力内容 以下の項目に関するアフガニスタンへの協力内容をご覧頂けます。 協力概況 代表的なプロジェクト 事業別プロジェクト一覧 事業別協力実績 プロジェクト所在地図

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アフガニスタン

アフガニスタン Afghanistan
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項目構成
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共和国樹立とソ連軍の占領

1973年7月、ダーウドはザーヒル国王を追放して政権をにぎり、アフガニスタンを共和国と宣言した。77年初めに新憲法が公布され、大統領に就任したダーウドは官僚に民間人を登用した。しかし、78年4月、アフガニスタン人民民主党がクーデタをおこしてダーウドを殺害し、アフガニスタン民主共和国を樹立、党書記長のノール・ムハンマド・タラキーが革命評議会議長に就任した。親ソ連のタラキーは急激な社会主義改革をすすめ、宗教界を弾圧したために、イスラム教徒の反発をまねき、国内は混乱した。それとともに人民民主党政権内部の抗争もあらわになり、79年6月、タラキー議長のもとで首相をつとめていたハフィーズッラー・アミーンがタラキーを追放して革命評議会議長の座をうばい、実権をにぎった。

それまで社会主義政権を外からあやつってきたソ連は、アミーンがアメリカ寄りの姿勢をみせるとともに軍事介入にふみきり、1979年12月、アフガニスタン全土に大軍をおくりこんで主要都市を占拠した。ソ連はアミーンを処刑し、78年に亡命していた元副大統領のバブラク・カルマルを大統領に就任させた。しかし国内の混乱は以前にもましてはげしくなり、300万人以上の難民が隣国のパキスタンにのがれた。アフガニスタン侵攻

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ソ連軍の撤退

1980年代半ばには、政府軍と約11万8000人のソ連軍がおもな都市と道路を掌握したが、アメリカなど外国の支援をうけたムジャヒディン(イスラム聖戦士)などからなるゲリラ軍を駆逐することはできなかった。86年、カルマルにかわって、ムハンマド・ナジブラが大統領になった。国際的な非難にさらされ、ゲリラとの戦闘で大きな人的損失をこうむったソ連軍は、88年5月から89年2月にかけて撤退した。しかし内戦はその後もつづき、92年4月にナジブラ政権はたおされ、ゲリラ軍がカブールを占拠した。これにより、ブルハヌッディン・ラバニを大統領とする暫定政権が成立した。しかし、92年12月、ラバニを2年間の任期で大統領にする投票がおこなわれると、ゲリラ組織の統一がみだれて内戦状態となった。

1993年6月、シーア派の戦闘的イスラム原理主義グループであるヘズブ・イ・イスラーミーのリーダー、グルブッディン・ヘクマティアルが首相になった。94年1月、カブールでラバニ大統領派とヘクマティアル首相派の衝突がおこり、この争いはアフガニスタン各地へと広がり、2500人以上が殺された。94年半ばに、イスラムの神学生を中心とするイスラム原理主義派の新興勢力タリバーンが蜂起(ほうき)して、3カ月間で9県を制圧した。彼らはカブールにも侵攻したが失敗し、撤退した。

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タリバーンによる制圧

1994年11月、テヘランで20をこえる各派代表の和平会議が開かれたが、会議は成功しなかった。95年9月にはタリバーンがふたたび勢いをもりかえし、他の反大統領派とともに首都を包囲するなど内戦状態にあった。96年9月、タリバーンが首都カブールを制圧し、暫定政権の樹立を宣言した。10月、反タリバーンのラバニ派とドスタム将軍派らは軍事同盟をむすび、反攻を開始し、内戦は泥沼化した。

1999年3月、トルクメニスタンのアシガバートで、タリバーン政権と反政府勢力の中心であるマスード元国防相との和平交渉が国連の仲介でおこなわれた。連立政権の樹立で合意がなされたが、戦闘が再燃し合意は破棄された。

タリバーン政権は、1998年8月のケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件のあと、首謀者とされるウサマ・ビンラーディンを庇護(ひご)しているといわれ、99年10月、国連は安保理決議でビンラーディンの身柄引渡し要求と、経済制裁をつきつけたが、暫定政権はしたがわなかった。そのため国連は2000年12月に対タリバーン制裁の安保理決議を採択し、武器の禁輸、軍事関連の役務提供の禁止などをさだめ、タリバーンと国連の関係は悪化した。

2001年3月、偶像崇拝を禁じたイスラムの教えを忠実にまもるタリバーンは、最高指導者モハマド・オマール師の布告により、異教徒のきずいたバーミヤーン石窟の大仏を破壊した。仏教美術の貴重な文化遺産に対するこの野蛮な行為は世界じゅうの非難をあびた。

2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件がおきたあと、アメリカはビンラーディンを容疑者とし、タリバーン政権に彼の引渡しを要求したが、タリバーンはこれを拒否。国連ではアメリカからの要請により集団的自衛権の行使をする決議を採択し、NATO(北大西洋条約機構)、ロシアをはじめ、タリバーンを後援してきた隣国パキスタンもアメリカ支援を表明した。

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タリバーン政権崩壊と新暫定政権樹立

アメリカはアフガニスタンへの攻撃を決意し、2001年10月7日から空爆を開始し、反タリバーン勢力の北部同盟は地上戦で各都市・拠点を制圧した。首都カブール、テロリストの養成施設があるとされるジャララバード、アフガニスタン南部へと攻撃目標が広げられると、タリバーンは拠点を次々と放棄した。南部の都市カンダハールをタリバーン勢力が放棄したことをうけてアメリカは、12月7日にタリバーン戦の勝利を宣言した。

国連は、11月27日からドイツのボンで暫定政権樹立に関する国際会議を開き、アフガニスタンの反タリバーン勢力のローマ・グループ、北部同盟、ペシャーワル・グループ、キプロス・グループが参加した。

暫定政権の閣僚ポスト配分の討議は難航したものの、2001年12月5日に4派は合意に達し、協定書に調印した。暫定政権の議長はパシュトゥーン人のハミド・カルザイ元外務次官(ローマ・グループ)に決定。暫定政権は12月22日に発足し、発足から6カ月以内にイタリア亡命中のザーヒル元国王が緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議)を招集し、正式な移行政権を樹立することや、さらに憲法制定のために正式ロヤ・ジルガを開催して、緊急ロヤ・ジルガ召集から2年以内に自由で公正な選挙を実施することが合意された(ボン合意)。国連はこの協定を支持し、国際治安支援部隊(ISAF)の派遣を決定した。

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移行政権の樹立

2002年6月にボン合意にもとづいて緊急ロヤ・ジルガが開催され、移行政権が誕生、大統領にはカルザイ暫定政府議長が就任。また、それに先だつ4月にザーヒル元国王が帰国し、国父として象徴的な地位につくことになった。

この移行政権の発足後も、各地でカルザイ大統領の意に反する抗争が頻発、その主役は州の権力者たちを中心とする軍閥である。ヘラート州知事イスマイル・ハーン(タジク人)とカンダハールを拠点とするパシュトゥーン人の軍隊が西部辺境のファラー州で軍事衝突をくりかえし、また北東部のバダフシャン州でも、北部同盟の核となったタジク人勢力の間で戦闘が発生した。

2003年7月、カルザイ大統領は03年10月に新憲法を制定するためのロヤ・ジルガを開催するとの大統領令を布告し、新憲法のもとで04年中に大統領選挙と議会の総選挙をおこなうことも発表した。しかし移行政権発足後も、国内の治安状態はいっこうに改善されなかった。二十数カ国からなる約5000人のISAFが首都カブールに駐留し、カンダハール近辺には約1万人のアメリカ軍が残留しているが、それら以外の地域では軍事衝突がおさまらず、またイラク戦争をきっかけに、カブールやカンダハールなどでのタリバーン残存勢力のテロ活動もふたたび活発化した。

新憲法制定のためのロヤ・ジルガは、予定より2カ月おくれて2003年の12月中旬からカブールで開催された。大統領の権限、イスラム教の扱い、公用語、男女平等条項のもりこみなどをめぐって議論が白熱したが、とくに会議終盤にいたって、カルザイ大統領も属する多数派のパシュトゥーン人と、それ以外のタジク人など少数派の対立が表面化した。国連やアメリカが仲介に入る一幕もあって、最終的には、イスラム教を国教とする共和制、信教の自由、男女平等、国民の直接選挙による大統領制、下院(国民議会。国民が直接選挙)と上院(長老議会。3分の2が州議会選出、3分の1は大統領が任命)の二院制、公用語としてパシュト語とダリー語の採用などを骨子とする憲法案が採択された。大統領は任期5年で、2期までつとめることができる。首相職をもうけず、国軍の統帥権や上院議員3分の1の任免権をもつなど、大統領の権限は大きい。

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