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新憲法にもとづき、2004年中に大統領選挙と議会の総選挙がおこなわれる予定だったが、有権者登録などの準備作業の遅れや、依然として改善されない治安状況のため、大統領選挙だけが04年10月9日に実施された。立候補したのはカルザイ暫定大統領ら18人。駐留アメリカ軍やアフガニスタン国軍などが厳戒態勢をしいたため、投開票は大きな妨害をうけることなくおこなわれた。選挙結果の確定までに3週間あまりを要したものの、カルザイが国内で最大の民族パシュトゥーン人の支持を背景に、有効投票の半数をこえる55.4%を獲得し、決選投票なしで正式政権の大統領にえらばれた。2位以下は、タジク人のカヌニ前教育相(得票率16%)、ハザーラ人軍閥のモハケク(12%)、ウズベク人軍閥のドスタム(10%)だった。新政権の組閣にあたってカルザイは、能力主義を強調し、軍閥や地方の有力者の寄せ集めだった移行政権からの決別を示唆した。 民主化の総仕上げとなるべき下院と34の州議会の選挙は、2005年9月18日におこなわれた。下院選挙は定数249に対し約2750人が立候補し、34の州議会選挙には定数420に対し約3000人が立候補した。当選した候補者のほとんどが無所属であるため議会勢力がどうなるか不明だが、カルザイ支持派が過半数を占めたと観測されている。ただし、上下院ともに国を内戦の泥沼におとしいれてきた軍閥とその関係者が過半数を占める。真の民主主義がはたしてもたらされるかどうか不安視される中、12月18日に両院の初議会が開催された。
2006年には、民主政権による統治が確立されると思われたが、タリバーンはふたたび勢力を拡大し、国土の南半分の支配権をにぎった。アメリカを中心とする駐留軍によるケシ栽培絶滅作戦の結果、農民たちは生活手段をうしなったが、カルザイ政権は有効な代替収入源をしめすことができないため、失望した人々がタリバーン支持にながれはじめているといわれる。 NATO軍は2006年6月以降、治安が極度に悪化している南部各州を中心に活動を展開。約1万8000人の兵力のうち、約8000人を南部に駐留させて掃討作戦にあたらせた。しかし、もりかえしたタリバーン勢力を前に苦戦を強いられている。7月には、南部の駐留軍の指揮権がアメリカからNATOへ移行。9月にワルシャワで開催されたNATO参謀長会議では、加盟各国に対してアフガニスタンへの増派が要請されたが、レバノン派兵も重なり、各国の対応はにぶい。
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