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  • ミサ曲 - Wikipedia

    ミサ曲 (―きょく)は、 キリスト教 の典礼( ミサ )に伴う 声楽曲 。

  • ミサ曲 ロ短調 - Wikipedia

    ミサ曲 ロ短調 (bwv 232) は、 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ の作曲した ミサ曲 。日本語では ロ短調ミサ などとも称される。早くは 1724年 に書かれたものを部分的に含むが、最終的に完成したのは、j.s.バッハ(以下、バッハ)の死の前年の 1749年 である ...

  • シューベルト ドイツ・ミサ曲

    シューベルト ドイツ・ミサ曲 midi再生ボタン:シューベルトのミサ曲から(グロリア) 指揮者: エーリッヒ・ビンダー

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ミサ曲

ミサ曲 ミサきょく
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

キリスト教におけるミサの式文に音楽をつけた楽曲。

ミサのための典礼文には、日ごとに文句のかわるミサ固有文と、つねに同じ文句のミサ通常文とがある。そうした式文にメロディをつけることは、キリスト教が誕生したころからおこなわれていたが、その中には一般的に単調な口調で朗誦(ろうしょう)されるか、かたられるものと、伝統的にうたわれるものとがある。ローマ教皇グレゴリウス1世は在位(590~604)の間に、当時の典礼でつかわれていた単旋律聖歌(伴奏なし)をひろく各地から収集した。

II

ミサ固有文の音楽

グレゴリウス1世が集成した典礼聖歌は、のちに追加された曲とともにグレゴリオ聖歌と総称される。グレゴリオ聖歌では固有文をもちいたメロディ、なかでもイントロイトゥス(入祭唱)、グラドゥアーレ(昇階唱)、アレルヤ、トラクトゥス(詠唱)、オッフェルトリウム(奉納唱)、コンムニオ(聖体拝領唱)が重要な位置を占める。

900~1250年ごろの初期多声音楽でも、固有文によるミサ曲がひろくつくられた。この時代の多声音楽の作り方は、グレゴリオ聖歌のメロディを核となるカントゥス・フィルムス(定旋律)にもちいて、その声部にほかの声部を重ねる方法がとられた。初期の多声音楽をあつめた重要な曲集に「オルガヌム大集」(1175頃)がある。ここには典礼音楽作曲家レオナン(12世紀末に活躍)がパリで書き、彼の後継者ペロタン(1200年頃活躍)が補充したグラドゥアーレとアレルヤがおさめられている。固有文の聖歌を定旋律とする多声曲は、1250年ごろには激減する。

III

ミサ通常文の音楽

ミサ通常文は、キリエ(あわれみの賛歌。「主よ、あわれみたまえ」の意味)、グロリア(栄光の賛歌)、クレド(信仰宣言。「われは信ず」の意味)、サンクトゥス(感謝の賛歌。「聖なるかな」の意味)、アニュス・デイ(平和の賛歌。「神の子羊」の意味)の5章からなる。古くは各章をばらばらに作曲していたが、5章をまとめて作曲する通作ミサの最初の例は、フランスの「トゥルネーのミサ」(1300頃)といわれる。しかしその後も各章を個別に作曲することのほうが盛んであり、次の通作ミサが書かれたのは14世紀中ごろのフランスの作曲家・詩人のギヨーム・ド・マショーによってである。

1400~1600年に、「ミサ曲」は通常文をもちいた多声曲を意味するようになる。多声のミサ曲は、当時のもっとも大規模な音楽作品であった。このジャンルの発展に貢献した主要な作曲家に、フランスのギヨーム・デュファイ、フランス生まれのジョスカン・デプレ、イタリアのジョバンニ・ダ・パレストリーナらがあげられる。5章全体を音楽的に関連づける技法がいろいろと考案され、ひとつのグレゴリオ聖歌のメロディをすべての章に一貫してもちいるなどの技法がつかわれた。やがては世俗音楽も素材として利用される。

17世紀以後、ミサ曲は主要な音楽ジャンルではなくなるが、声楽的にも器楽的にもいっそう高度な水準に発展する。バロック時代(1600頃~1750頃)の傑作に、ヨハン・セバスティアン・バッハの「ミサ曲・ロ短調」がある。この作品はカンタータの様式で書かれ、通常の礼拝には長すぎるくらい規模が大きい。

古典派時代(1750頃~1820頃)のミサ曲には、オーストリアのハイドンモーツァルトの作品がある。ベートーベンの「荘厳ミサ曲」(1824)は、作曲者自身が自分の最高傑作と考えていた。

19世紀には、オーストリアのシューベルト、ハンガリーのリスト、フランスのグノーらがミサ曲を書いたが、とくにオーストリアのブルックナーの作品が重要である。

20世紀のミサ曲には、フランスのプーランク、ロシア出身のストラビンスキー、チェコのヤナーチェク、イギリスのボーン・ウィリアムズの作品がある。1962~65年の第2回バチカン公会議以後、カトリック教会もラテン語によらないミサの実施を容認したため、コンゴ南東部にすむ農耕民族ルバ族の土着的な大衆音楽様式をとりいれた「ミサ・ルバ」(司祭のグイード・ハーツェン作曲)のような異色作が誕生した。

IV

レクイエム

レクイエムとは死者のためのミサのことで、式文にグロリアとクレドがなく、その代わりにセクエンツィア(続唱)として「ディエス・イレ(怒りの日)」をもつ。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律は同聖歌の中で、おそらくもっともひろく知られたものである。

ミサ曲としてのレクイエム(「鎮魂ミサ曲」と訳されることがある)では、フランドルのオケヘム(オケゲム。15世紀)、モーツァルト(1791)、イタリアのベルディ(1874)、フランスのベルリオーズ(1837)とフォーレ(1877)らの作品が有名である。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」(1868)は伝統的なラテン語の式文ではなく、ルターのドイツ語訳聖書から作曲者が任意にえらんだ文章を歌詞にもちいている。イギリスのブリテンは「戦争レクイエム」(1961)の歌詞に、レクイエム固有の式文とならべて、第1次世界大戦で戦死した詩人ウィルフレッド・オーエンの反戦詩をとりいれた。合唱曲

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