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    化学 (かがく、Chemistry)とは、 原子 ・ 分子 を 物質 の構成要素と考え、物質の構造・性質・反応を研究する 自然科学 の一分野である。日本では幕末から明治初期にかけては セイミ (舎密)と呼ばれた。また、 日本語 では 同音異義 の「 科学 」(science ...

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化学

化学 かがく Chemistry
百科事典項目
項目構成
2 C

酸素

この時期に化学は、フランス、とくにラボワジェの研究室で急速に発展していた。彼は、金属を空気中で熱するとフロギストンがうしなわれるのだとすると、なぜこのときに重量がふえるのかという問題になやまされていた。

1774年、プリーストリーはフランスをおとずれ、彼が脱フロギストン空気を発見したことをラボワジェにはなした。ラボワジェは、ただちにこの物質の重要性をみぬき、近代化学の確立につながる化学革命への道がひらかれたのである。彼は、この気体に対して酸を形成するものという意味で酸素という名称をもちいた。

3

近代化学の誕生

ラボワジェは一連のすぐれた実験によって、空気には20%の酸素がふくまれており、燃焼とは、可燃性物質が酸素と結合することによっておこる現象であることをしめした。炭素をもやすと固定空気(二酸化炭素)が生成される。したがってフロギストンは存在しない。

フロギストン説はまもなく、空気中の酸素が可燃性物質の成分と結合してその成分元素の酸化物を形成するという考え方にとってかわられた。ラボワジェは、彼の研究に定量的な裏付けをあたえるために天秤を使用した。彼は、元素を化学的な方法によって分解することができない物質と定義し、質量保存の法則を確立した。

彼は、古い化学の命名体系(いぜんとして錬金術的な慣用がおこなわれていた)を、今日もちいられている合理的な化学命名法にかえた。彼はまた、最初の化学雑誌の創刊に力をつくした。フランス革命の際1794年に、彼が元徴税請負人であったことから、ギロチンで処刑されたのち、同僚たちが彼の研究をひきつぎ近代化学を確立した。そのわずかのち、スウェーデンの化学者ヤコブ・ベルセリウスが、元素名の頭文字あるいは元素名中の文字の組み合わせによる原子の記号化を提案した。

VI

19世紀および20世紀

19世紀の初頭までには、分析化学の精度が向上し、化学者たちは、簡単な化合物には、一定不変の量の成分元素がふくまれていることを明らかにできるまでになった。しかし、場合によっては、これと同じ元素の間でも2種類以上の化合物が生成されることがある。

フランスの化学者、物理学者ジョセフ・ゲイ・リュサックは、たがいに反応する気体の体積は、小さな整数比をなすということをしめした(このことは、のちに原子であることが証明される不連続な粒子の相互作用の存在を暗示している)。これらの事実の説明にもっとも貢献したのが、イギリスの科学者ジョン・ドルトンが1803年に発表した化学原子論であった。

ドルトンは、2種類の元素が結合してできる化合物には、それぞれの元素の原子が1個ずつふくまれていると仮定した。彼の体系にしたがえば、水の化学式はHOとあらわされた。彼は、水素の原子量を恣意的に1とし、酸素の相対的な原子量を計算した。この原理をほかの化合物にも適用して、ほかの元素の原子量を計算し、当時すでに知られていたすべての元素の相対的な原子量表を作成した。

彼の理論には多くの誤りがふくまれていたが、その考え方はただしく、各原子の質量に定量的な値をあたえることができた。

1

分子理論

ドルトンの理論の最大の弱点は、倍数比例の法則を説明できず、原子と分子を区別することができなかったことである。そのため、彼は、水の化学式として可能なHOとH2O2のちがいを説明できなかっただけでなく、彼が仮定したHOの化学式であらわされる水の蒸気密度が、化学式Oであらわされる酸素の密度よりも小さいのはなぜかということを説明できなかった。

この問題に対する解答は、1811年、イタリアの物理学者アメデオ・アボガドロによってみいだされた。彼は、同一温度、同一圧力のもとで、同じ体積をもつ気体には同じ数の粒子がふくまれ、分子と原子とはことなる、という考えを提示した。酸素が水素と結合するとき、酸素原子2個(現代のわれわれの言葉でいえば「分子」)がわかれ、それぞれの酸素原子が2つの水素原子と結合するのであり、水の分子式はH2O、酸素および水素の分子式はそれぞれO2、H2であらわされる、としたのである。

1 A

アボガドロの再評価

残念なことに、アボガドロの考えは、約50年間無視され、この間、化学者たちの計算に大きな混乱が生じたのである。アボガドロの仮説がイタリアの化学者スタニスラオ・カニッツァーロによって再評価されたのは1860年になってからのことであった。

この時代にはすでに、元素の原子量を比較するための基準として、ドルトンのように水素の原子量1を採用するよりも、酸素の原子量16を採用したほうが都合がよいことに、化学者たちは気づいていた。当時、酸素の分子量32が一般に使用されており、これにグラムをつけて酸素のグラム分子量、あるいは単に酸素1モルとよんでいた。化学計算はこれによって標準化され、化学式の書き方が確定したのである。

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