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モネ,C.

モネ Claude Monet
百科事典項目

1840~1926 フランス印象派の画家。刻々とうつろいゆく外光の効果を研究し、一瞬の輝きが生む微妙なニュアンスの色彩をキャンバスに定着しようとした。印象主義

パリに生まれ、少年時代の大部分をルアーブルですごしながら、この地で素描をまなんだ。16歳のころ、町で評判となったカリカチュアをみたブーダンに画才をみいだされ、外光のもとで自然を直接えがくようすすめられて、彼とともに海景画などをえがいた。1859年、画家になる決意をしてパリに移住。60年代は印象派の先駆者であるマネや、のちに印象派を結成するピサロルノワールシスレーなどと親交をむすんだ。

当初は身近な風景や、当時の中流市民社会のさまざまな情景を戸外制作によってえがきだし、サロン(官展)にも入選して一部でみとめられはじめた。しかし、彼独自の様式が展開するにつれて、対象からうけたみずみずしい印象をその場で直接えがくことに関心がうつり、伝統的画法を次々とやぶっていった。戸外の光をスケッチのように明るい色彩でえがくというモネの実験は、ますます大胆になり、伝統的な官展系の画家として成功する可能性をみずからたち切った。

1874年、モネと仲間はサロンに対抗してグループ展を開催し、世の中に直接うったえようとした。しかし、批評家はモネらのグループを嘲笑をこめて印象派と名づけた。この名称は彼らの作品が、たんに最初の印象をえがきとめたスケッチのように未完成にみえたことと、モネの出品作の題名が「印象・日の出」(1872)であったことに由来する。

これ以降、モネの構図は細部にとらわれない大づかみな構成となり、筆触は小さく明確に分割され、色彩は明るさと輝きをました。この技法は彼が自然からうけたそのままの印象を的確に画面に定着させるために考えだした描法である。1870、80年代をとおして、モネはこの技法をしだいに洗練させ、地中海や大西洋岸に旅を重ねて、光と色彩の効果を可能なかぎり追究した。

1880年代半ばごろまでに、モネは印象派グループのリーダーとみなされ、画家として注目をあびて経済的安定をえた。彼は単純な構図と固有色を排した大胆な色彩でえがいたが、細心の観察者として、自然のありのままの複雑な様相も、彼自身のするどい感性もそこなうことはなかった。

1890年、彼はパリ郊外のジベルニーに土地と屋敷を購入し、日本式庭園(現在、一般公開されている)をつくった。池には睡蓮(すいれん)をうかべて太鼓橋をかけ、周囲にはしだれ柳、竹などをうえた。1906年ごろからは池と睡蓮をえがくことに後半生をささげ、これらの作品は、やがてパリのオランジュリー美術館、シカゴ美術館ニューヨーク近代美術館などにおさめられた。

このジベルニー時代には「積みわら」「ポプラ」「ルーアン大聖堂」「セーヌ川」など他の有名な連作も手がけ、季節、天候、時間に応じて変化する光が、モティーフをさまざまな色彩に変幻させるさまを追究した。視力の衰えにもかかわらず、ほとんど死の直前までえがきつづけ、1926年12月5日ジベルニーで死去した。

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