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この時期の最大の移民は、戦争の結果国境が変更になり強制的に移住させられた、ドイツやポーランドなどの人々だった。また、これはヨーロッパにかぎらず、植民地から独立したものの宗教上の理由から分離国家となったインド、パキスタンなどにもみられた。ヨーロッパ諸国は、戦争直後の経済の疲弊からたちなおれない時期だったため、他国への移民を促進する政策を積極的にとった。移民の目的地は白人移民にも制限をもうけているアメリカではなく、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、そしてラテンアメリカ諸国であった。 1960年代に西ヨーロッパ諸国の経済成長がはじまると、旧西ドイツやフランス、イギリスなど北西ヨーロッパ諸国に、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの南西ヨーロッパ諸国からの移民が増加する。イギリス、フランスなどの旧植民宗主国には独立した植民地から労働者が入ってくる。また、西ドイツにはトルコ人が下級労働者として大量に入りこみ、現在も大きな社会問題となっている。
1948年の「世界人権宣言」は、各国の移民政策にも大きな影響をもたらした。同宣言は移民の自由を基本的な人権としてとらえており、戦前のように移民に対する人種的差別を否定している。アメリカをはじめとする先進国は、有色人種に対する移民禁止政策を撤廃するとともに数量的制限も緩和した。この結果、旧植民地から旧宗主国への移民も増大した。また、発展途上国からの先進国への流れだけでなく、途上国からクウェートのような産油国、あるいは韓国、台湾のような中進国へのフィリピン人の移入のような流れもめだってきている。 第2次世界大戦前の先進国への移民が主として非熟練労働力であったのに対し、現在は資金や技術をもつ者を歓迎する傾向がある。
日本での移民は、室町時代から江戸時代初期までの倭寇や南蛮貿易がさかえた時代にひとつの興隆期があった。しかし、鎖国政策をとった江戸幕府では、移民は不可能であった。1866年(慶応2)に幕府が海外渡航禁止令を廃止して、ようやく海外への渡航がみとめられることになった。留学生や少数の芸人などが渡航し、明治時代になると婦女子の密航や売春婦である「からゆき」などが年々ふえていった。 長期間他国で労働に従事するという意味での移民は、1868年(明治元)のハワイへの契約移民が最初であった。ここから第2次世界大戦の敗戦までの約80年間が、日本における近代移民の全盛時代であった。敗戦前後の海外邦人は北米が41万人(日系アメリカ人)、中南米が24万人である。日本の植民地への移民は千島と樺太(サハリン)が28万人、中国東北部(旧「満州」)が27万人で、人口が稠密(ちゅうみつ)な台湾と朝鮮への移民が相対的に少ない。逆に、これらの地域からの日本本土や樺太への移民が生じている。
戦前の日本の移民政策はしばしば棄民政策とよばれてきた。初期の移民の多くは移民会社にゆだねられて、さまざまな不利益をこうむる場合が多く、政府の保護もふじゅうぶんな場合が多かった。たとえば、南米移民の始まりであったペルー移民(1899)の場合は、第1団の風土病などにたおれた率は数十パーセントにおよんだ。移民会社の事前のあやまった情報に対して、直接の管轄権をもつ地方自治体はなんらのチェック機能もはたさなかった。ペルー移民の場合は、おそらくはハワイ移民の一部の成功を直接間接に聞いた移民志願者が、かなり主観的な願望をいだいたことにも若干の責任があるかもしれない。このことは、従来、移民の動機をもっぱら経済的なものにしぼってきたことに疑問をいだかせた。 現在、急増している中国から日本への密航者にしても、極貧地帯からではなく密航の資金を調達できる程度の生活水準をもつ地方、しかも成功者のモデルについて直接間接の情報を入手できる地方の人々が中心であるように思われる。さらには、その地域にある種の根深い神話あるいは伝説がある場合には、移民志願は促進されるように思われる。たとえば、柳田国男の「海上の道」やそれに類似した韓国のチェジュ(済州)島にある伝説などがそれである。海の向こうにある豊かな地は、人々を移民にかりたてる無意識的な動機かもしれない。
戦前の植民地以外の日本人移民は、中国人の華僑がしばしばそうであったように、出稼ぎ意識をいだいていた。彼らは多くの場合、入移民地の社会や文化に積極的に融和しようとはしなかったし、婚姻にしても日本から相手をよびよせることが多かった。 日本が第2次世界大戦に突入したため、南北アメリカ大陸の日本人移民は、人種差別により敵性国民としてあつかわれた。アメリカでは、日本人移民の多くがテキサスの捕虜収容所に収監されたし、いまだ日本に宣戦布告していないペルーに米国軍艦がやってきて、ペルー政府と協力して日本人移民リーダーを逮捕した。このこと自体明らかに国際法に違反していたうえ、逮捕された日本人はテキサスの捕虜収容所に収監された。 日本の敗戦により旧植民地にいた日本人移民が、強制的に帰国を余儀なくされたのは周知のとおりである。その他の地域の移民にしても、戦前のような出稼ぎスタイルの移民が通用しなくなったことは骨身にしみていた。彼らは従来のように日本国籍に執着することなく、現在いる国の国籍をとり、その国民となった。
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