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一方、敗戦後の日本では経済が成長を開始するまでは、ヨーロッパ諸国のように「口減らし」のために政府によって移民が奨励された。ブラジル、ドミニカ、ボリビアなどへの移民である。移民の出身地で、とくに考えなくてはならないのは沖縄である。戦前においても、沖縄出身の移民は多かった。たとえば、ペルーの日本人協会は、事実上沖縄とそれ以外の県の2つのグループに二分されていた。地上戦による荒廃、膨大な米軍基地用地としての農地接収、そして海外にいる親族のつてがあることなどが沖縄人の移民志願を増大させた。
日本経済が高度成長期に入ると移民熱も沈静化し、海外の移民もわすれさられた。1960年代を中心に15年間ほどつづく高度経済成長により、日本は出移民国から入移民国に変化した。外国人労働者問題の出現である。85年(昭和60)のプラザ合意により、「円高ドル安」の事実上の容認により円高のメリットをもとめる国の人々が、「黄金の国ジパング」をめざすことになる。通貨レートが円の数十分の一であるこれらの国々の人は、1年日本ではたらけば故郷に豪邸をたてられる。さらに、日本企業の需要もある。3K産業などといわれる分野では、日本の若者はもはや働こうとはしない。いきおいこうした分野は外国人労働者を不可欠とするようになった。彼らは低賃金でも働くことをいとわない。かつての「出移民」時代の日本とは逆の状況が出現したのである。 この動きは、日系人の逆流をともなっていた。1989年(平成元)12月に出入国管理及び難民認定法(入管法)が改正され、在外日系人の就労が自由化されたが(施行は1990年6月)、それ以降の最大の移民は、中南米を中心とする日系人であった。これらの日系人は80年代後半から急速にふえていたが、同法改正によって勢いをまし、95年にはブラジル、ペルー人の就労者は90年の約3倍となり、20万人を突破した。合法的に就労がみとめられた外国人の約4分の1である。これらの人々は自分の祖父母、父母がはなれた故郷に再移民しているわけである。その後は、日本の経済的低迷で増加率が鈍化したが漸増(ぜんぞう)はつづき、2000年段階で約30万人に達した。 現在の日本の「入移民」は日系人にかぎらない。ビザやパスポート(→ パスポートとビザ)をもたない難民や、外国人労働者の「不法滞在」がしばしば社会問題になっている。
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