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    フランス西部の地方名で、フランスに併合される以前は独立した公国、以後フランス革命までは州だった。

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ブルターニュ(歴史)

ブルターニュ Bretagne
百科事典項目

フランス西部の地方名で、フランスに併合される以前は独立した公国、以後フランス革命までは州だった。

この地方は、前56年にカエサルひきいるローマ軍にせめられ、ローマの属州ガリア・ルグドゥネンシスの一部となった。ブルターニュという名称は、ローマ軍が撤退したあと、5~6世紀にアングロ・サクソンの侵入をうけて、ブリテン島から半島北西部にのがれてきたケルト人の一派ブリトン人に由来している。

7~8世紀に、ブルターニュには多くの小国があった。それらは9世紀にカール大帝によって征服されたが、846年、ケルトの指導者ノミノエのもとに団結し、カール大帝の孫カール2世(禿頭王)とたたかって独立をかちとり、ブルターニュ公国をたてた。公国はしばしばフランス王の支配に屈したが、15世紀末まで独立を維持した。

バロワ朝の歴代の王は一族の男子をブルターニュ公国の継承権をもつ王女と結婚させて、相続によってブルターニュを手にいれる政略をとった。1491年、公国の継承者アンヌがフランス国王シャルル8世と結婚、さらにアンヌの娘クロードはフランス国王フランソワ1世と結婚し、この結果、ブルターニュは1532年、フランス王国に併合された。フランスとの併合のあともブルターニュは独自の議会をもってフランス革命まで、自立性を維持した。

独立を主張する運動は20世紀の今もつづいており、現在でも100万弱の住民がケルト系のブルトン語(ケルト語派)をもちいている。

現在のブルターニュについてはブルターニュ(地理)を参照。

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