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宮廷や貴族につかえた去勢された男子をさし、古代オリエントにすでに存在していたといわれる。この風習はギリシャやローマにもつたわったが、中世にキリスト教が普及するにつれておとろえた。アジアにおいてはその後もオスマン帝国やムガル帝国に多くの宦官が存在していた。しかし、歴史上重要な役割をはたし、またもっとも長く存在していたのは中国であった。
中国における宦官の歴史は古い。前1300年ごろ、殷王朝の武丁(ぶてい)の時代には、すでに宮廷において宦官が使用されていたことが、甲骨文字の解読で判明している。以来、後1924年に清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)とともに紫禁城を追われるまでの約3300年の間、宦官は中国の歴代王朝に存在しつづけた。 宦官の主な任務は、宮廷内の雑務である。とくに後宮(こうきゅう)には皇帝につかえる多くの女性が居住しており、皇帝以外の男性は出入りを禁止されていたので、生殖機能をうしなっている宦官が、後宮内のすべての雑務を担当したのである。宦官は宮廷内では最下級の身分とされ、政治に関与することはきびしく禁止されていた。しかし、皇帝・皇族の生活にもっとも密接していたのは高級宦官たちであり、幼少の皇帝が出現すると、しばしば政治に介入した。その結果、政治が混乱し、後漢や唐・明は、宦官の専横によってほろんだといわれる。 歴代王朝のなかで、宦官を最も多く使用したのは明朝だった。末期においては、その数は数万人にもふくれあがり、食事の配給をうけることができずに餓死する下級宦官がいたといわれる。一般庶民にとっては宦官になることは、栄達への近道だった。近代以前の技術では、性器の除去手術は危険で死亡率が高かったが、一族のためにわが子に手術をうけさせ、あるいは自分から手術をうけて宦官になる者があとをたたなかった。
政治を腐敗させて王朝の衰亡をはやめたとされる宦官の数は多く、なかでも秦の趙高(ちょうこう)や唐の高力士、明の王振、劉瑾(りゅうきん)らが有名である。趙高は、始皇帝の死後、宮廷の権力を独占し、宰相の李斯を処刑して秦帝国を滅亡にみちびいた。 その一方で、行政・文化の面で大きな功績をのこした宦官もいた。前漢の皇帝武帝の怒りを買い、死刑か宮刑かをえらべといわれ、「史記」を仕上げるため、やむなく後者、つまり宦官になる道をえらんだ司馬遷のような例もあり、紙の普及に功のあった後漢の蔡倫、大艦隊をひきいインドやアフリカ東海岸まで航海した明の鄭和も宦官だった。
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