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    幕張新都心にそびえるスモールラグジュアリーホテル、ホテル ザ・マンハッタン。ニューヨーク・マンハッタン島の息吹と文化の粋を凝縮した館内で最高のラグジュアリーをご提供いたします。

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マンハッタン

マンハッタン Manhattan
百科事典項目
項目構成
III

教育と文化

マンハッタンは教育と文化でも世界の重要な中心地である。区内の高等教育機関には、ニューヨーク市立大学のシティ・カレッジ(1847年創立)とハンター・カレッジ(1870)、コロンビア大学、リンカン・センターにあるフォーダム大学、ニューヨーク大学、ペイス大学(1906)、ロックフェラー大学、イェシーバ大学のほか、ユニオン神学校、ゼネラル神学校(1817)、アメリカ・ユダヤ教神学校のような宗教の学校がある。音楽・演劇・絵画などの専門教育は、ジュリアード音楽院、マンハッタン音楽学校(1917)、アメリカ演劇芸術アカデミー(1884)、視覚芸術学校(1947)でおこなわれている。

主要な文化施設としては、メトロポリタン美術館ニューヨーク近代美術館グッゲンハイム美術館(1990~92年に改修・拡張)、ホイットニー美術館、フリック・コレクション、ピアポント・モーガン図書館、クーパー・ヒューイット博物館、国際写真センター、ハーレム・スタジオ博物館、ユダヤ博物館、ニューヨーク市立博物館、ハイデン・プラネタリウムを付属館としてもつアメリカ自然史博物館などがある。

ミッドタウンのブロードウェー周辺には大劇場があつまっている。タイムズ・スクエアをふくむこの地域には、映画館も多い。マンハッタンは著名な芸術団体の本拠地でもある。ニューヨーク・シティ・オペラ、メトロポリタン・オペラ、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、アメリカン・バレエ・シアター、ニューヨーク・シティ・バレエ団は、いずれもマンハッタンに本拠をおいている。ニューヨーク公共図書館は研究用図書館として世界的に知られている。

マンハッタンに数多くある公園のうち最大のものがセントラルパークで、1850年代にフレデリック・ロウ・オルムステッドとカルバート・ボーによって設計された。園内には動物園(1864年開園、正式名称はセントラルパーク野生動物保護センター)、野外劇場、数カ所の池や大きな貯水池、レクリエーション施設などがみられる。ほかにバッテリー公園、ワシントンスクエア公園、リバーサイド公園、中世ヨーロッパ美術の博物館クロイスターズのあるフォート・トライオン公園などがある。

IV

歴史

マンハッタンという名称は、古くからこの島に居住していたアメリカ先住民アルゴンキンの「丘の島」を意味する言葉に由来する。1524年にはイタリア人航海者ジョバンニ・ダ・ベラツァーノが、ヨーロッパ人としてはじめてこの島をおとずれたとされる。

1609年、オランダにやとわれたイギリスの航海者ヘンリー・ハドソンがひろく探検をおこなった。それにもとづいてオランダはこの地方の領有権を主張し、24年、ニューアムステルダムとよばれるオランダの交易所をマンハッタン島の南端に設立する。さらにオランダのニューネーデルラント植民地総督ピーター・ミニュイットは、自国の権利を確実なものにするため、26年、60ギルダー(約24ドル)相当の品物と引き替えに先住民からこの島を手にいれた。ニューアムステルダムはニューネーデルラント植民地の行政の中心地になった。

1664年にイギリスはニューネーデルラントを攻略し、同年、チャールズ2世はマンハッタン島をふくむ広大な地域を弟のヨーク公(後のジェームズ2世)にあたえた。ニューアムステルダムはヨーク公に敬意を表してニューヨークと改称される。73年にオランダに奪還されたものの、1年後にはウェストミンスター条約によりイギリスに譲渡された。

18世紀を通じ、ニューヨークは北アメリカのイギリス植民地における重要な商業の中心地に発展した。マンハッタン島の南端に位置するバッテリーは要塞(ようさい)化され、入植地は北にむかって拡大していった。その後、イギリスからの独立をもとめるアメリカの愛国者たちの活動拠点のひとつになった。1776年、アメリカ軍はこの地域からの撤退を余儀なくされ、ニューヨークはアメリカ独立革命がおわるまでイギリスの占領下におかれる。

1785~90年にニューヨークは連邦政府の所在地となり、90年の人口はおよそ3万3000人をかぞえた。92年には最初の証券取引所が開設され、まもなく国内最大の金融および商業の中心地へと成長した。19世紀にはいると、ヨーロッパからの移民の流入によってニューヨークの人口は1810年で約9万6000人、50年で約51万5500人と劇的に増加した。さらに南北戦争後、マンハッタンは空前の速度で発展していく。

1874年、それまでマンハッタン島内にかぎられていたニューヨークは、現在ブロンクス区の西部を構成しているウェストファームス、モリサニア、キングスブリッジを合併し、ブロンクス区の残りの部分も95年に吸収する。そうした中でブルックリン、クイーンズ、スターテン島などとの合併の気運も高まり、98年1月1日、マンハッタンとブロンクスは拡大・統合されたニューヨーク市の別々の区になった。

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