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1623~62 フランスの哲学者、科学者、宗教思想家、文学者。 オベーニュ地方のクレルモンフェランで生まれ、1629年に家族とともにパリにうつった。自然科学に通じた父から教育をうけ、はやくから天才的な数学の才能をあらわし、16歳で「円錐(えんすい)曲線試論」を書いて、射影幾何学におけるパスカルの定理を明らかにした。面倒な計算をしなければならない父の仕事をたすけるため、42年には史上はじめての機械式計算機を製作した(→ コンピューター)。
1646年、イタリアの物理学者トリチェリの実験をきいて真空に興味をもち、ガラス管の中の水銀柱の高さは、周囲の大気圧によってきまり、従来信じられていた、真空によるものではないことを実験的に証明した。つまり、トリチェリの真空は、大気の重さによって生じる現象であることをたしかめたのである。これは、トリチェリの「液体の平衡は大気圧の影響をうける」という仮説をうらづけるものであった。 その6年後に、フランスの数学者フェルマーとの議論を通じて、確率論(→ 確率)という数学の新分野を生みだした。現在確率論は、保険数理学、数理統計学、社会統計学、および理論物理学の数学的基本手法として、必要不可欠なものとなっている。そのほかにも、科学分野の重要な業績として、「密閉された容器内の静止流体中では、1点に圧力をくわえると、流体中のどの点にも、くわえられたのと同じ大きさの圧力がつたわる」というパスカルの原理の確立と、無限小の幾何学の研究がある。科学者としてのパスカルは、抽象よりも具体性を重んじ、実証的方法論を重視するという思想的特徴がある。
善をなすのに、人間の自由意志よりも神の恩恵を強調したジャンセニスムの信仰を支持したパスカルは、1654年にポール・ロワイヤル修道院のジャンセニストとの交際を深め、以後終生、禁欲的な生活をおくった。56~57年には、有名な18通の書簡「プロバンシアル」を次々に発表し、ジャンセニスムは異端ではないことを主張し、イエズス会の主張のほうが堕落しているとのべている。しかし、もっとも宗教的な著書は死後に刊行された。
のこされた大部の覚書は、ポール・ロワイヤル修道院の関係者によって整理され、「パンセ」(宗教および他の若干の問題についてのパスカル氏の思想)と題して、1670年に出版された。その中でパスカルは、原罪によって堕落した人間があじわわなければならない悲惨や、原罪からの救済の可能性と、永遠に地獄におちることとの二者択一についてのべ、信仰によってのみ神の恩恵を理解することができ、救済がもたらされると示唆している。 「パンセ」は、パスカルが晩年に不信心者を回心させるために執筆していた、未完の「キリスト教弁証論」の多数の遺稿を、編集構成したものである。そのため、パスカルが意図した「キリスト教弁証論」のような「パンセ」の復元がもとめられ、遺稿と照合しながらの再分類が何人かの学者によっておこなわれているが、まだ完成していない。
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