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18世紀の半ばに、当時のオペラのありかたに疑問をいだき、アリアにダ・カーポ以外の形式をもちいて、合唱と器楽演奏に重要な役割をもたせようとした作曲家が登場した。なかでも注目されるのはドイツ生まれのクリストフ・グルックである。 イギリスのバラッド・オペラ、フランスのオペラ・コミック、ドイツのジングシュピール、イタリアのオペラ・ブッファなど、ヨーロッパ諸国で発展した喜劇的なオペラも、新しいオペラの登場をうながした。これらはすべて伝統的なオペラ・セーリア(シリアスな題材をもとにしたオペラ)より軽い感覚のもので、会話は歌われずに話され、物語は神話の登場人物ではなく、ふつうの人々で構成されることが多かった。こうした特徴はイタリアのオペラ・ブッファの第一人者、ペルゴレーシの作品によくあらわれている。喜劇的なオペラは自然さと演技力を特徴としていたが、オペラ・セーリアの作曲家も、その長所を作品を写実的にする技法としてとりいれていった。 イタリアのオペラ・ブッファを芸術にまで高めたのは、12歳ではじめてオペラを書いたモーツァルトであった。イタリア語で書かれた3つの作品「フィガロの結婚」(1786)、「ドン・ジョバンニ」(1787)、「コシ・ファン・トゥッテ」(1790)には、彼の音楽的才能がみちあふれている。なかでも「ドン・ジョバンニ」はロマンティックな人物をはじめて登場させたことで有名である。モーツァルトのドイツ語で書かれたオペラにも、喜劇的な「後宮からの誘拐」(1782)から、象徴的な意味をもつ「魔笛」(1791)までさまざまなスタイルがある。
19世紀には、フランス、ドイツ、イタリアで同時代のロマン主義運動を反映するオペラが生まれた。
パリではフランスに移住した外国人を中心として、華麗な舞台装置、芝居、バレエ、音楽がみごとに融合したグランド・オペラが書かれた。初期の傑作に、イタリア人作曲家であったガスパーレ・スポンティーニの「ベスタの巫女」(1807)とルイジ・ケルビーニの「ロドイスカ」(1791)、フランス人作曲家ダニエル・フランソワ・エスプリ・オーベールの「ポルティチの唖娘」(1828)などがある。 グランド・オペラ全盛期の作品には、ベルリン生まれの作曲家ジャコモ・マイヤーベーアによる「悪魔のロベール」(1831)や、「ユグノー教徒」(1836)などの規模の大きな作品が生まれた。フランス人作曲家の作品には、ダイドーとイニーアスの物語に取材したベルリオーズの「トロイアの人々」(1856~59)があるが、フランスではほとんど評価されず、作曲家の生前に上演されることはなかった。ゲーテの作品を原作とするシャルル・グノーの「ファウスト」(1859)は、19世紀半ばのフランス・オペラでもっとも高い人気をえた作品のひとつであった。
19世紀ドイツ・オペラの筆頭としてあげられる作品はベートーベンの「フィデリオ」(1805年初演。06年、14年改訂)である。これは、4種類のことなる序曲をふくむ劇的なジングシュピールで、フランス革命期にひろまった「不当にとらえられた捕虜の救出」を主題としている。ウェーバーはドイツでのロマン主義オペラの創始者で、超自然現象をあつかった「魔弾の射手」(1821)のほか、「オイリアンテ」(1823)、「オベロン」(1826)などを作曲した。 ドイツ・オペラはワーグナーの登場で絶頂期をむかえた。彼は自分の手になる台本と、音楽、舞台が一体となった楽劇という新しいジャンルをつくったことで知られている。初期の「さまよえるオランダ人」(1843)、「タンホイザー」(1845)、「ローエングリン」(1850)は、アリアや合唱などの伝統的な要素をもっていたが、「トリスタンとイゾルデ」(1865)と中世の英雄叙事詩に取材した「ニーベルングの指環」(1869~76)では、音楽がとぎれることなくながれ、舞台の人物以上にオーケストラが主人公であるような新しいオペラをつくりあげた。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1868)では中世のギルドがあつかわれ、「パルジファル」(1882)では宗教的神秘がえがかれている。 ワーグナーのほとんどすべての作品では、ライトモティーフ(示導動機)とよばれる旋律がくりかえしあらわれて特定の人物や感情を表現し、劇中の行動が心理的な側面から理解できるようにはたらきかける。ワーグナーが自作品を上演するために1876年に開設したドイツのバイロイト祝祭劇場は、現在でもワーグナーのファンにとって神聖な場所になっている。ワーグナーのオペラについての革新的な考えは、以後、世界中の音楽家たちに影響をあたえた。
イタリア・オペラは歌手の声こそ重要な要素であるという考えをすてなかった。ロッシーニは「セビーリャの理髪師」(1816)、「チェネレントラ」(1817)などの喜劇的なオペラを作曲し、それらは現在、序曲しか上演されない「ウィリアム・テル」(1829)などのまじめな作品よりも、長い生命をたもっている。 また、なめらかで表情豊かな、ベル・カント唱法(うつくしい歌い方)は、しばしば驚異的なテクニックを要求しながら、ビンチェンツォ・ベリーニの「ノルマ」「夢遊病の女」(ともに1831)、「清教徒」(1835)などにみごとに生かされている。ベル・カント唱法が重要な役割をもつ作品には、ほかに有名な「狂乱の場」をふくむガエターノ・ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」(1835)や、喜劇「愛の妙薬」(1832)、「ドン・パスクアーレ」(1843)などがある。 イタリア・オペラを代表するベルディは、かつてない劇的な生命力と豊かな音楽性をオペラにあたえた。その創作の歴史は、荒々しい力がみなぎる初期の「ナブッコ」(1842)や「エルナニ」(1844)から、洗練された人物造型をほこる「リゴレット」(1851)、「イル・トロバトーレ」「ラ・トラビアータ(椿姫)」(ともに1853)、「仮面舞踏会」(1859)、「運命の力」(1862)、さらに、グランド・オペラの視覚的な華麗さと悲劇的なラブ・ストーリーをみごとに融合した「アイーダ」(1871)へとつづいた。 最後の2つのオペラ「オテロ」(1887)と「ファルスタッフ」(1893)は、シェークスピアの作品を原作として生まれ、それまでにくらべて演劇的・音楽的にとぎれることなく作品が展開している。批評家からはワーグナーのまねをしていると批判されたが、人間の声がもっとも重要な表現手段であり、情熱がオペラの本質的な主題であると考える点で、ベルディはあくまでもイタリアの作曲家といえる。
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