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  • 王家の谷 - Wikipedia

    王家の谷 (おうけのたに)は、 エジプト 、 テーベ (現 ルクソール )の ナイル川 西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの 新王国時代 の王たちの 墓 が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷 ...

  • 王家の谷1

    第18王朝から第20王朝までの ファラオの墓所 として造られた岩窟墳墓群です。数あるエジプトの観光地の中でも ギザのピラミッド 、 アブシンベル に並ぶ最大の見所でしょう。この 王家の谷 は 東の谷 と 西の谷 に分かれtいて全62の墓のうち54は東の谷に ...

  • 王家の谷

    王家の谷 右側に見えるのがツタンカーメンの墓の入口 西岸の岩山の間に、盗掘を免れるために作られたファラオたちの墓がある。全部で62発見されているが、普段は10数基ほどしか公開されていない。王家の谷には「東の谷」と「西の谷」があり、「西の谷 ...

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王家の谷

王家の谷 おうけのたに Biban el-Muluk
百科事典項目

古代エジプト新王国時代(前1570~前1070)の王墓地。現在のルクソールの対岸、ナイル川西岸から西方へほんの数キロメートルにあるが、高い崖(がけ)と細長くまがりくねった道の奥にその谷はかくれている。新王国時代以前、エジプトの王たちは埋葬墓であるピラミッドと、供養する場である葬祭殿を同じ所にたてていた。

しかし、前1551~前1524年に統治した第18王朝第2代のアメンヘテプ1世はピラミッドをやめ、葬祭殿をナイル川岸付近につくり、埋葬墓をはなれた北西の断崖にかくした。つづく第3代トトメス1世以降の王たちも埋葬墓と葬祭殿を分離し、埋葬墓を王家の谷の中につくった。王墓を盗掘からまもろうとしたのであろう。こうしてピラミッドの代わりに、谷の最奥にあるピラミッド形の山の下に墓がたてられることになった。

谷は東西2つの支谷からなり1817年イタリアの探検家ベルツオニがセティ1世の墓をこの谷ではじめて発見したが、それ以降、全部で62基の墓が発見されている。セティ1世のミイラはそのときみつからなかったが、81年、もとの安置所からうつされた他のミイラ39体とともにナイル川に面した断崖の上の大きな再埋葬の隠し場で発見された。

大半の墓はかたい岩床を深くほってつくられており、墓室内は古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)やうつくしい彩色浮き彫り、壁画などでかざられている。1922年にイギリスの考古学者カーターらが発見したツタンカーメン王の墓は、王家の谷で唯一大規模な盗掘をまぬがれたもので、5000以上の埋葬品がわかい王のミイラとともに発見され世界をおどろかせた。トトメス2世の妻で古代エジプト史上、数少ない女性ファラオだったハトシェプストもここに埋葬されているが、ほかの王妃たちは数キロ南にある王妃の谷に埋葬されている。

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