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Windows Live® の検索結果 都市国家は、古代文明のひとつであるメソポタミア文明や、前12世紀以降地中海交易でさかえたフェニキア人の世界で早くから発展したとされている。しかし、都市国家という表現は、一般に、古代ギリシャやローマの都市共同体「ポリスpolis」の訳語としてもちいられている。当時ギリシャには1000をこえるポリスがあったといわれるが、ひとつひとつのポリスは、人口の面でも地域的な広がりという面でも一般に小さかった。こうしたポリスの中でも、比較的大きなアテネやスパルタが典型的なポリスとして、とくに知られている。 都市とは、歴史的にみると、人々がひろい地域に分散して定住し農業に従事するという農村的な共同体の生活を徐々にはなれ、一定の地域にあつまって生活することによって生まれてきた。そのプロセスにおいて、生産力の向上は階級や階層の分化を生みだし、支配する者と支配される者、農業生産に従事する者とそうでない者とにわかれはじめる。また、一定の地域にあつまるという生活の仕方が、村落共同体の時代にはなかった独特な生活様式を一般的にする。新しい職業や技術者が生まれ、やとわれて兵隊となる者(傭兵)も登場してくる。 都市国家とは、このような都市が、ひとつの独立した国家として政治をいとなんでいるような形態をさす。都市国家の基本的な特徴は、土地を所有する農民と商工業者とがいっしょになって市民団を構成し、たがいに平等な立場で国家の意思の決定に参加するところにある。国内の治安はもちろん、経済政策や交易、軍事や戦争、外交にいたるまで、共同体にかかわるすべての事柄が彼らの自治によって決定された。共同体の意思決定の場が市民総会(民会)である。民会への市民の参加は、まさに直接民主制の実践にほかならなかった。市民団のこうした政治参加を基本的な条件として、市民共同体としての都市国家が成立したのである。ただし通常、市民団には外国人や、自由人ではない多くの奴隷はふくまれていない。 都市国家の外形的な特質も、都市国家が市民の民主的な共同体であることをはっきりとしめしている。たとえば、都市をとりかこむ城壁は都市を外敵からまもるために不可欠の手段であった。また守護神をまつった神殿、市民の集会や裁判の場所となった広場(アゴラ)、同様に市民のつどう場所であった劇場など、都市の中心部にあつめられた公共の場所と建築物は、市民がたがいに意見を交換し、政治を議論する場所として大きな役割をはたしていたのである。 しかし、都市国家の政治も初めから安定していたわけではなかった。たとえばアテネでは当初(前7世紀前半)、貴族政治がおこなわれていた。大土地所有者である貴族出身の少数の執政官が政治と軍事を独占し、役人の多くも財産をもつ貴族であった。一般の農民や手工業者は実際の政治には参加できなかったのである。その後、貴族政治の乱れに乗じて僭主とよばれる専制的な支配者(暴君)による僭主政治の時代がつづき、民会を国家の最高の議決機関とする直接民主制(直接民主主義)がはじまるのは、前6世紀末のことであった。 アテネの場合、民会に参加する資格(市民権)は、ともに市民である両親から生まれた成人の男子だけにあたえられた。その点では、市民権は特権的な権利であった。しかし、このような過程をへて獲得された参政権とそれにもとづく民主政治が都市国家の重要な特質であり、今日の民主主義思想の原点であることに注目すべきであろう。
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