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11世紀初めから12世紀後半のゴシック美術台頭までの西ヨーロッパの美術をいう。
西ヨーロッパのキリスト教社会をおびやかしたノルマン人やイスラム教徒などの異教徒の侵入は、西ローマ帝国の衰退期にはほぼおちつき、476年の西ローマ帝国滅亡ののち、封建社会がととのえられる中で簡素な美術様式が発展した。アイルランドはケルト様式、イギリスはサクソン様式、フランスはメロビング様式、スペインは西ゴート様式として、地域によって区別されている。これらの様式の特徴は動物文様と複雑な装飾文様で、ローマの古典様式からしだいにはなれ、独自の特徴をもつようになった。 フランク王国はカール大帝の治世に、その当時のビザンティン美術とローマ美術に強い影響をうけた。8~9世紀初めのフランク族の美術はカロリング朝美術とよばれている。この時期はカロリング・ルネサンスともよばれ、カール大帝のもとで芸術の復興と古典研究がおこなわれたが、それは後世に2つの重要な遺産をのこすことになった。1つはベネディクト会修道士たちが筆写した古代ラテン語と初期キリスト教文化をつたえる膨大な写本である。もう1つは読みにくい後期メロビング朝の書体を改善したことである。これはラテン文字のもとになった。 カール大帝の死後、フランク王国は分裂し、東フランク王国(ドイツ)の支配者が皇帝となった。9~10世紀に東フランクのライン地方で発展した様式は、カール大帝の後継者オットー1世の名をとってオットー美術とよばれている。 前ロマネスク期からロマネスク期の西ヨーロッパ諸国をむすびつけていたのはキリスト教会であり、それが古代ローマ文化をつたえ広めていた。ローマ文化の伝統はイタリア以外の地域でも根強くのこっていた。たとえば帝国滅亡以前からすでにローマ化されていた北フランスのモーゼル川沿岸地方や南フランスのプロバンスなどである。 前ロマネスク期がおわるころには、ローマの様式はビザンティン、中東のシリア、ドイツ、ケルトなどの様式と融合しはじめていた。こうして多様な地方様式が西ヨーロッパで生まれ、これらを総称して「古代ローマの様式」を意味するロマネスクという言葉がつかわれるようになった。この時期には建築が数多くのこされているので、ロマネスクのさまざまな様式は建築によって区別されることが多い。
ローマの経済と文化が衰退したのち、すぐれた建築家や職人はそだたなかった。建築は教会にかぎられ、仕上げは粗雑で規模も縮小されることが多かった。5世紀末~8世紀の建築は、当時ビザンティンの支配下にあったイタリアのラベンナをのぞけば、一般に簡素である。それらの建築には、古代ローマの建造物からとってきた建材がよく再利用された。ほとんどの地域ではローマのバシリカ式教会のような初期キリスト教美術の様式をうけついでいる。 ビザンティン建築の影響をうけた円形や多角形のドームをもつ教会は、前ロマネスク期にも建造された。代表作は、ビザンティン皇帝ユスティニアヌスの命令でたてられたラベンナのサン・ビターレ教会(526~548)と、アーヘンにあるカール大帝の八角形の宮廷礼拝堂(792~805)である。カロリング朝の建築家たちが新たにつくりだしたのは西構(せいこう)で、これはバシリカ式のキリスト教会に多層階の玄関とその横に鐘塔をつけくわえたものである。この西構がロマネスクとゴシックの大聖堂のファサードの原型となった。 修道院建築の重要性もみのがせない。修道院はこの時期を特徴づける宗教的・社会的な制度で、修道士たちの住居、礼拝堂、回廊、図書館、工房などからなる大規模な建築が必要とされた。とくにベネディクト会とシトー会の修道士たちが新しい建築技術をあみだした。代表作に、ベネディクト会によるライヘナウとモンテ・カッシーノの修道院がある。 ロマネスク建築の革新はボールト構造にある(→ アーチとボールト)。ロマネスク以前の建築では屋根が木造でひじょうに燃えやすく、それにかわるものとして石造ボールトが発達した。そのボールトをささえるために厚くて堅固な壁体がもちいられ、ベイとよばれるトンネル・ボールトにおおわれた正方形や長方形の小区画が平面の構成単位となった。このベイと重厚な壁体がロマネスク様式の特徴である。クリアストーリーとよばれる明かり窓をつくるために、教会の身廊(しんろう)はたいてい幅がせまく天井が高い。開口部は小さく上部が円形アーチとなっており、刳形(くりかた)や彫刻によって縁どられている。
イタリア・ロマネスク建築の様式はひじょうに多様である。建築技術が発達したのはロンバルディア地方で、交差ボールトの多用が特徴である。初期の建築としては、12世紀初めにたてられたミラノのサンタンブロージョ教会とパビアのサン・ミケーレ教会がある。また、パルマ、クレモナ、ピアチェンツァ、フェッラーラ、モデナの大聖堂や洗礼堂などもある。 中部イタリアでは構造上の新しさはあまりみられず、初期キリスト教会には古代建築の伝統がひきつがれていた。ローマのサン・クレメンテ教会(12世紀)がその代表作である。 トスカーナ地方では古代の建築意匠が自由にもちいられ、フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ教会にみられるように、色大理石がつかわれた。古代ローマ起源の装飾は、有名なピサの大聖堂、洗礼堂、斜塔でも多用されている。 南イタリアのプーリアとシチリアでは、ビザンティン、ローマ、アラブ、ロンバルディア、ノルマンの混合様式が生みだされた。豪華なモザイク画、重なりあった尖頭(せんとう)アーチが特徴で、12世紀のモンレアーレとチェファルーの大聖堂、パレルモのパラティーナ礼拝堂がもっとも有名である。
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