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南北アメリカに昔からいた住民で、北アメリカではインディアン、ラテンアメリカではインディオとよばれてきた。北アメリカのイヌイットおよびアラスカ・エスキモー、アレウト(アリュート)もやはり先住民である。アメリカ合衆国ではハワイに先住していたポリネシア人もアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)にふくめる。近年ラテンアメリカでは、インディオという言葉に侮蔑的(ぶべつてき)・差別的な響きがあることから、インディヘナ(スペイン語で「先住の」という意味)などとよぶことが多くなっている。
15世紀末~16世紀、すなわちコロンブスがカリブ海に到着したころ、南北アメリカの陸地には9000万、あるいはそれ以上の人間がすんでいたと推定されている。そのうちおよそ1000万人は今日のアメリカ合衆国とカナダにすみ、3000万人がメキシコ、1100万人が中央アメリカ、44万5000人がカリブ海の島々、3000万人が南アメリカのアンデス地域、900万人が南アメリカのその他の地域にすんでいた。人によっては、これよりも少ない推定をすることもある。アメリカのどこでも同じだったが、ヨーロッパ人がやってくると、彼らとの戦争、飢餓、強制労働、新しい伝染病などのために、先住民の人口は激減した。 アメリカ先住民の体つきはモンゴロイド系の人々によく似ており、アジアの新人(ホモ・サピエンス)が氷河期のベーリング海峡をこえて北アメリカに移住し、アメリカ先住民となったことをしめしている。明るい褐色の皮膚、茶色の目、黒くまっすぐな毛髪などは、モンゴロイドの特徴である。その後、環境への適応などの過程で、先住民の体つきは細かい点では地域によってことなるようになった。たとえば北アメリカの大平原地域の先住民は、背が高くがっしりとした体をしており、南アメリカのアンデス地方の住民は高地に適応して、背は低いがぶあつい胸をしている。グアテマラの先住民が小柄なのは、タンパク質の少ない食事が原因であろう。
シベリア北東部から最初の移住者たちがベーリング海峡をこえてアラスカにきたのは、現在のところ、1万5000~1万4000年前とする説がもっとも確実とされている。しかし、3万年以上前とする説や2万5000年前ごろとする説などもある。先住民らは第4氷河期の海退(→ 海進と海退)によってできたベーリンジア(ベーリング陸橋)をわたってきたが、そのとき旧石器時代末期の骨角器や打製石器の製作技術をもっていた。おそらくは100人程度のバンドという集団をつくり、魚をとったりトナカイやマンモスの狩猟をしてくらしていた。ずっとのちのイヌイットやエスキモーのように、皮や毛皮でアノラックのような防寒服をつくることも知っていただろう。また、短い夏にはいくつものバンドがあつまって宗教的な儀式をおこない、物を交換したり、ゲームをして遊んだりもしたことだろう。獲物についての新しい情報が交換され、その情報を頼りにアラスカの奥へ、そしてついにはアメリカ大陸のもっと南へと進出してゆく狩猟民がいた。 南北アメリカ大陸でよく知られている最古の人類文化は、北アメリカの1万5000~1万4000年前ごろから8000年前ごろのパレオ・インディアン文化である。なかでもクロービス文化はもっとも古い文化のひとつで、現在のアメリカ南西部を中心にクロービス型尖頭器(せんとうき:ポイント)とよばれる石器をつかう人々が大型動物の狩猟をおこなっていた。それは約1万1500年前以降のことで、それから少しおくれて1万1000年前ころには同じような狩猟文化であるフォルサム文化があらわれた。 ベーリング海峡をこえた人々の子孫は急速に南方に広がり、数をふやし、南北アメリカの多様な自然環境と温暖化する後氷期の気候に適応し、さまざまな文化をつくりあげた。南アメリカでは、チリ南部のモンテ・ベルデ遺跡でマストドンの骨などとともに約1万2500年前にさかのぼるといわれる石器類がみつかり、すでにこの時点で南アメリカ南端近くまで彼らが到達していたと考えられる。
広大な南北アメリカ大陸の各地に成立した文化の特徴を説明するために、人類学では「文化領域」という概念をもちいる。文化領域とはまず第一に特定の地理的範囲をもつ。そこには特有の気候、地形、動物相、植物相があり、人間はこの環境に適応した生活様式をつくりあげる必要がある。食料の入手や調理、保存の技術が開発され、それと関連した社会組織も発達する。
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