Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 ページ 4 / 9
項目構成
発達初期の位置づけは、初期経験の問題とは別の関心からもでてきた。1960年以降、R.L.ファンツやバウアーらにはじまる乳児研究ラッシュである。それまでの乳児研究は、刺激への感受性や運動行動の発達にかぎられ、乳児の知覚や認知の働きはほとんど知られていなかった。「乳児は何もわからない」という先入観のせいもあったが、乳児を実験的に研究する技法がなかったからでもある。ファンツは偏好実験(どちらの刺激図形が乳児の黒目に長くとどまるか)によって、またバウアーはオペラント条件づけの技法をもちいて研究にとりくみ、次々に乳児の知覚や認知能力を明らかにしていった。 それにつづく一連の研究によって、「無力な乳児」というイメージは払拭(ふっしょく)され、乳児はきわめて有能な存在であることがわかってきた。その最たるものは、乳児の随伴性探知能力である。パポウチェックによれば、乳児がたまたま左足をキックすればその足の動きが光スイッチを作動させてスライドを点灯させ、スクリーン上に絵がうつるというように装置をセットしておくと、4、5カ月の乳児でさえ、短時間のうちに足のキックと絵がうつることとの随伴関係を探知し、その状況を「学習する」という。
発達初期における自己の位置づけはもうひとつ、自己の起源あるいは原初の自己への関心による。自己と他者という心理学的、哲学的な大きなテーマは、発達の見方からすればその起源を問うことである。これにとりくんだのはクラインをはじめとする精神分析の系譜に属する人たち、たとえばウィニコット、マーラー、カーンバーグらであった。最近では、スターンが乳児の直接観察と精神分析の解釈論との「対話」をめざし、発達早期の自己感の発達を理論化している。これはボウルビーの内的ワーキングモデルの概念とむすびついて、原初の自己を問う最近の発達研究を加速する役目をはたしている。
乳児はかなりはやい時期に、人と物の区別ができるようになる。そして母親の顔、声、においも他の人と区別して認知することができる。つかまり立ちができ、対象物に手がのびるようになると、外界に旺盛な興味をしめし、物をつかんだりつまんだりしはじめる。そして、そのような手持ちの行動を外界の事物に適用して、それを「つかめるもの」「つまめるもの」というように認知していく。→ 感覚運動的知能 また、泣けば母親があらわれるという随伴関係がわかって、うそ泣きがはじまる。そして誕生日前後には、みなれたものがみえなくなると、いつもある所をさがすことができるようになり、また目の前でおもちゃがポケットの中にかくされると、かくされた所をさがして、そのおもちゃをとりだすこともできるようになる(ピアジェはこれを対象永続性の成立とよぶ)。さらに対象の同一性の認知がすすむことによって、人見知りもはじまり、また分離不安もあらわれてくる。→ 愛着理論
乳児期の最後ごろから幼児期にかけて、言葉が子供の世界にはいってくる。大人が身近な物の名をいうと、その人や事物を指さすことができるようになり、自分から事物の名前をいって、それを他者と共有しようとするようになる。表象はすでに乳児期から機能しはじめているが、この期になると言語シンボルが表象を喚起したり、表象が発語をうながしたりするようになる。これによって「見立て遊び」、「ごっこ遊び」がはじまり、絵本の読み聞かせをよろこぶなどファンタジーの世界がひろがる。そして就学直前ごろになると、子供自身が物語をつくることさえできるようになる。言葉によって観念の世界、虚構の世界が大きくふくらみ、現実と虚構の区別をみうしなうこともままあるが、しだいに実の世界と虚の世界の区別がつくように(意識できるように)なってくる。→ 非言語的コミュニケーションの発達 就学前後から学童期になると、子供は「つけくわえる」「とりのぞく」「うつしかえる」「おきかえる」「回転させる」等々、外界の事物に具体的な操作をくわえることによって、見かけの変化があっても、そこに不変項(数、量、体積、密度など)を認識できるようになってくる。これをピアジェは「具体操作的知能」とよんだ。
学童期になると、教育をとおして多方面の認知能力が向上するとともに、膨大な知識を習得するようになる。それによって、それまで獲得した個物名を概念によってくくることができたり、さまざまな経験を概念的に再編成することができるようになってくる。また、経験したことを文章につづるばかりでなく、空想を文章につづることもできるようになり、いったん獲得した言葉の一般的意味にもとづきながら、そこに自分の体験を重ねることによって、その言葉に独自の意味をこめることができるようになってくる。
|
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |