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船舶

船舶 せんぱく
百科事典項目
項目構成
III

中世のガレー船

中世ヨーロッパの船は、ローマのガレー船が発達したものであったが、より長い櫂または大櫂をつかった。これらの櫂の長さは15mもあり、1本の櫂に7人の漕ぎ手がつくこともあった。

漕ぎ手は斜面に段になって配置され、長い櫂をこぐために、てこの力点となるソールまたはピン(櫂受け)は、船の中心線と平行にとおっているアポステスとよばれる木の骨組みの上に、船体の外側でとりつけられていた。古代のガレー船でつかわれ、やがて中世の船に導入されたアポステスは、現在の競技用のボートなどにつかわれている舷外浮材と同じ目的をもっていた。また、アポステスの利用は、船の両側に2列以上のバンク(櫂の列の層)を配置するのにも役だった。

中世にはそのほか、舵の改良もおこなわれた。ローマ人がつかっていた舵取り櫂の代わりに、船尾にぶらさがった固定式の舵の使用である。さらに、中世の末ごろには、嵐の海に適した大きなフリーボード(喫水線から甲板の面までが高い側壁)をつけるようになった。

中世の典型的な軍船はガレー船である。これは、地中海地方の船大工、とくにジェノバベネツィアの船大工によってみごとな軍船に改良された。長さは30mから60mまでとさまざまで、片側に20本ずつの櫂が配置されていたが、同時に、2~3本のマストにとりつけられた帆で推進した。15世紀ごろからは、船首楼および船尾楼に大砲を装備している。大型のガレー船は、1200人もの人々をのせた。

中世の末ごろまで、帆船は軍事用にも交易用にもつかわれたが、櫂ですすむ船は、おもに軍事用にしかつかわれなかった。しかし15世紀の初めごろになると、各国では軍事用と交易用を区別して船の開発をすすめるようになった。

中世後半の典型的な商船は、キャラック(武装商船)という堅固に建造された3本マストの船で、フォアマストとメインマストには2枚の四角い大横帆がつけられ、短いミズンマストには大三角帆(マストとヤードの両方にとりつけられた三角帆)がつけられていた。そのような船は、武器はごく少量しかつまず、おもに貨物をはこぶように設計されていた。

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帆船の時代

中世の末には、大西洋を航海するのにつかわれた北ヨーロッパの船のように、櫂よりも帆が主流となった。しかし、地中海沿岸諸国、とくにイタリアでは、依然としてガレー船をつくりつづけた。1571年のレパントの海戦でトルコとたたかったキリスト教徒の船団は、ほとんどすべてがガレー船で構成されていた。その後、ガリホン船のような、いろいろな種類の櫂と帆の兼用の軍船が地中海地方の国で開発され、1700年代の後半までに、これらの船がガレー船にとってかわった。

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ヨーロッパの帆船

ヨーロッパ諸国は、多くの種類の帆船を発達させてきた。ポルトガルやスペインで典型的であったキャラベル船は、比較的小さな船で、貨物の積載能力が通常113トンほどで、幅が広い舳先(へさき)と高くせまいプープ・デッキ(船尾楼甲板)をもっていた。そして、3本または4本のマストをもち、そのうちフォアマストだけが四角い帆をつけ、そのほかのマストは三角帆をつけていた。コロンブスがアメリカ探検航海でつかった船は、このキャラベル船であった。

16~17世紀の典型的な軍船は、いわゆる巨艦とよばれるもので、4本ないし5本のマスト、高いフォアキャッスルとプープ・デッキ、および2層以上の大砲が装備されていた。これらの船は、排水量が900トン以上に達し、少なくとも60門以上の大砲が装備されていた。その後、武器の搭載は増加し、とくにイギリスの海軍では100門の大砲を装備した船もまれではなかった。

イギリスのネルソン提督の旗艦であったHMSビクトリー号は、18世紀の半ばに建造されたもので、全長が56.7m、幅が15.9m、排水量が2197トンであった。もっと小型の軍船には、快速船やスループ型砲船、砲装帆走船などがあったが、これらは36門ないしそれ以下の大砲を装備していた。大型船がデッキの下に大砲を装備していたのに対し、これらの船の大砲はデッキの上にすえつけられていた。

そのほか18~19世紀の小型軍船には、ブリッグ、ブリガンティーン、スクーナーカッター、ラガーなどがあった。現在の海軍の戦艦については、軍艦参照。

2 A

アメリカの船

帆船はしだいに規模が大きくなり、細部の改良がなされてきたが、基本的には、コロンブスの航海以降、3世紀にわたって変化することはなかった。19世紀半ば、帆船時代もおわろうとするころに登場した有名なクリッパー船(快速大型帆船)は、スピードの点でいちじるしい進歩をとげた。

クリッパーの前身ボルティモア・クリッパーは、独立戦争前後に開発されたもので、その速さで国際的な名声を博した。以後、少し改良されて積載量が450トンまで拡大され、英米戦争(1812)後、大西洋横断航路の高速郵便船や旅客船の定期便としてつかわれた。

クリッパーは、交易用帆船としては、スピードと操船性能をもった最高度に発達した帆船であった。細長く、するどい舳先をもったクリッパー船は、アメリカ~中国間貿易やイギリス~インド間貿易のような長距離の交易に活躍した。1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュによってもたらされた西海岸と東海岸の間の交易は、高速で航行できる船の必要性を促進した。その結果、この期間のスピード記録は次々とぬりかえられていった。

それまでの最大のクリッパー船は、船舶設計家ドナルド・マッケイによって1853年に建造されたものである。彼の設計したクリッパー船は、大西洋横断やニューヨーク~サンフランシスコ間航海、世界一周航海などで数々の記録をうちたてた。

3

帆船時代の終わり

アメリカの木造船、とくにクリッパーは、1857年の不況時まで、すべての海洋貿易を支配していた。その当時イギリスは、鉄製のフレームの上を木の板でおおった、いわゆる複合船の建造および鉄船の建造で世界をリードしていた。

イギリスのカティー・サークのような複合船は、1900年ごろまでは世界の海上輸送貨物の大半を担当していたが、蒸気船の高速貨物サービスに対抗できなくなった。しかし、オーストラリア~イギリス間の穀物貿易では、20年代まで帆船がつかわれた。

アメリカの沿岸貿易には、数多くの大型スクーナーが建造され、第1次世界大戦の直後までつかわれた。これらのスクーナーは、4本以上のマストをもち、大量の貨物をはこぶことができた。しかも、比較的少人数の乗組員で操船することができた。最大のスクーナーは、1902年に建造された7本マストのトーマス・W.ローソン号で、5000トン以上の鋼鉄船である。セーリング

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