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17~18世紀の西ヨーロッパで、東インド(喜望峰以東、マゼラン海峡以西の地域)との貿易促進を目的に設立された会社。1498年にバスコ・ダ・ガマが喜望峰航路を発見したのち多くの冒険的商人が東インド貿易にのりだしており、東インド会社はこれらの商人の組合から発展した。それらの中で最大級の会社は、それぞれ自国政府から特許状をあたえられ、領土を獲得する権利や、獲得した領土内で法律の制定、通貨の発行、条約の締結、戦争の遂行、裁判などの統治機能を行使する権利がみとめられていた。とくに有名なのはオランダとイギリスの東インド会社である。
1602年、オランダ連邦議会の決議により、多数の会社が統合されて連合東インド会社(Vereenighde Oost Indische Compagnie)が成立した。これは世界最初の株式会社形態で、社名の略称VOCを記号化した社章が、今日にのこるさまざまな製品に刻印されている。 1619年、東インドのオランダ植民地帝国の創設者とされるクーンが、ジャワにバタビア(現ジャカルタ)をきずいて、東インド会社の本拠地とし、23年にはアンボン事件によってマルク諸島からイギリスを撤退させた。オランダの影響力と活動はマレー半島全域から、中国、日本、インド、イラン、喜望峰にまでおよんだ。そして、1640年までにはスペインと連合王国を構成していたポルトガルから、東インドにおける領土をすべて奪取し、おもにインドネシアを拠点にして、マレー半島・スリランカ・日本で、ポルトガルにかわる勢力となった。この間に、マレー半島およびマルク諸島からイギリス勢をおいだすことにも成功し、52年には、喜望峰に南アフリカで最初のヨーロッパ植民地であるケープ植民地をきずいた。 最盛期の1669年には、戦艦40隻、商船150隻、兵士1万人を擁し、02~96年まで、同社がしはらった年間配当はおおむね20%以上で、ときには50%をこえることもあった。同社の特許は、政府への高額の金銭譲渡の見返りに20年ごとに更新された。18世紀にはいると、内部の混乱、イギリスとフランスの勢力拡大、現地住民の反発などのため衰退にむかい、1780年にイギリスの攻撃をうけたころにはもはや抵抗する力ものこっておらず、95年本国にフランスの支援をうけたバタビア共和国が成立すると、98年にオランダ東インド会社は正式に解散となった。
多くの東インド会社のうちもっとも重要な存在で、200年以上にわたりインドの歴史に大きな影響をおよぼした。イギリス東インド会社(East India Company)の最初の特許状は、1600年にエリザベス1世によってあたえられ、このころ「東インド」と考えられたアジア、アフリカ、アメリカにおける独占貿易権がみとめられた。初期には遠く日本まで航海し、1610年と11年には、インドのマドラス(現チェンナイ)とボンベイ(現ムンバイ)に最初の貿易拠点をきずいた。 1609年にジェームズ1世から永久特許状をあたえられ、マレー半島でオランダと競争するようになったが、両国商館間でおきたアンボン事件(1623)ののちは、この地域をオランダに明けわたした。しかし、イギリス東インド会社の武装商船は、以後もオランダ、フランス、ポルトガルの商人と海上での戦争をつづけた。王家の支持をうしなったこともあって一時経営危機におちいったが、ピューリタン革命期の57年に、クロムウェルの命令により、インド貿易の権利をもつ唯一の株式会社として再編された。80年代にベンガル、チェンナイ、ボンベイの城塞化をおしすすめ、それを拠点とする行政区を設立し、長期にわたるインド支配を開始した。 クライブが1751年のアーコットの戦、57年のプラッシーの戦でフランスをやぶってからは、イギリス東インド会社はインドにおける最大勢力となり、61年、フランス最後の拠点ポンディシェリを占拠したことにより、競争相手となるヨーロッパ諸国はインドからすっかり姿をけした。 東インド会社はベンガルのインド人から直接に地税を徴収する権限をえ、それによって莫大な利益をえることとなった。その利益はインド綿布や中国茶の買い付けに投資され、それらを本国へ輸出することでさらに利益を生んだ。 しかし、インド支配を維持するためのたえざる戦争と、社員が私益にはしって不正・腐敗がはびこったことは、現地の産業を極度に衰退させた。苛酷なインド支配の反面、会社の経営は赤字を重ねていった。 1773年、イギリス政府はインド総督職を創設して東インド会社の行政権を大幅に制限し、ベンガル総督ヘースティングズが初代インド総督となった。84年、インド法が成立して東インド会社によるインド支配をイギリス政府が直接監督する体制がつくられ、それから半世紀の間に政府の支配はインド亜大陸のほぼ全域にひろがった。1813年にはインド貿易に関する同社の独占権が廃止され、33年には中国貿易の独占権もうしなった。57~59年のセポイの反乱のさなかの58年、同社が保持していた統治機能はすべて政府の手にうつされ、2万4000人の兵士はイギリス軍に編入された。74年、会社は解散した。
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