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惑星とその衛星、彗星と隕石、星と星間物質、星の集合である銀河と銀河団など、宇宙のすべての天体をあつかう科学。近代天文学は次のようないくつかの部門にわかれている。天体の位置と運動を観測的に研究する天文測定学。重力理論によって天体の運動を数学的に研究する天体力学。スペクトル解析と物理学の法則から天体の化学組成と物理的状態を研究する天体物理学。宇宙全体の創成や進化を研究する宇宙論。
昼と夜、太陽、月と星に好奇心をいだいた古代人は、天体が規則的にうごいていることに気づいた。この規則性は、地上で時間と方角を知るのに役だつ。天文学は、最古の文明が誕生したときから、いつ穀物をうえたり収穫したりすればよいか、また宗教的儀式をいつおこなったらよいかを正確にさだめ、長期にわたる交易の旅や航海で方角や緯度を知るために、発達してきた。→ 天文考古学:航法 古代人は、天体の動きの中に多くの規則性をみいだした。昼と夜とをわける明るい太陽は、毎朝東からのぼり、日中は着実に天を移動し、ほぼ反対の方角である西にしずむ。夜には、数千個の星が似たようなコースをたどる。星は星座とよばれるグループを形成し、天の北極とよばれる天の固定点を中心に回転しているようにみえる。 北半球の温帯地方では、人々は昼と夜の長さが同じではないことに気づいた。昼が長いときには、太陽は真東よりも北からのぼり、正午には天高くまであがる。夜が長いときには、太陽は真東よりも南からのぼり、正午になってもそれほど高くまではあがらない。日没後に西にみえる星や日の出前に東にみえる星を観測すると、太陽と星の相対的な位置が少しずつ変化していることがわかった。太陽が約365日で天を一周することを最初に発見したのは、たぶんエジプト人だっただろう。→ 黄道 さらに観測をつづけることで、天には月と5つの明るい惑星があることがわかってきた。これらの天体は太陽とともに、黄道帯とよばれるせまい帯の範囲内で、天を一周している。月は黄道帯をすばやくまわり、約29.5日ごとに太陽においつく。この期間は朔望月(さくぼうづき)とよばれている。古代の星の観測者は、暦に日、月、年を矛盾のないようにまとめようとしが、ひと月も1年もその中にふくまれる日数が整数にならないことがわかった。そこで暦の製作者は、連続する月や年にことなる日数をわりふり、長期の平均をとるとほぼただしい値になるようにした。近代の暦は400年に97回の閏年(うるうどし)をおいており、1年の平均の長さは365.2425日となる。この値は、天文学的に計測された日数、365.24220日にきわめて近い。→ 暦 太陽と月はつねに黄道帯を西から東へと移動している。5つの明るい惑星である水星、金星、火星、木星、土星も、ふだんは背景の星に対してやはり東向きにうごいているが、火星、木星、土星は、それぞれの朔望期間に、ことなる期間だけ西向きに逆行するようにうごく。したがってこれらの惑星は、周期的に輪をえがきながら東向きのコースを不規則にたどっているようにみえる。古代の人々は、惑星の運動が自分たちの運命と関係していると考えていた。占星術によって、惑星の運動を予測する数学の理論が発達し、さらに天文学の研究がすすむことになった。
古代に、星座表と有用な暦がエジプト人、マヤ人、中国人などによって発明されたが、バビロニア人はさらに大きな業績をのこした。暦を完全なものにするために、彼らは太陽と月の運動を研究し、新月の翌日の三日月が日没後にはじめてあらわれる日を毎月の始まりとしたのである。この日は観測すればわかることだが、バビロニア人は前もって計算する方法をみつけようとした。前400年ごろ、黄道帯を西から東へと移動する太陽と月の見かけの運動が、一定の速度ではないことがわかってきた。太陽と月は、一周の前半には速度をまし、後半には速度をおとしながらうごいているようにみえる。バビロニア人は当初、前半と後半とにことなる一定の速度をあたえることで、この周期を計算しようとこころみた。のちに数学的なやり方を改善し、月の速度を前半は最小から最大へと直線的に増加し、それから最小へと減少する関数としてあらわした。月と太陽の運動に関するこれらの計算によって、バビロニア人たちは、新月となるときと、新しい月の始まりの日を予測できるようになった。その副産物として、彼らは、月と太陽が毎日どこにあるかを知ることができたのである。 同様の方法で、惑星の位置も、その東向きに逆行する動きとともに計算された。これらの計算をしめす楔形文字をきざんだ何百という粘土板が発掘されている。ユーフラテス川沿いのバビロンとウルの町から発見された粘土板のいくつかには、この計算方法を発明したらしい占星術師、ナブリアヌーあるいはキドゥヌーの名前がきざまれている。
古代ギリシャ人は、天文学の理論に大きな貢献をした。ホメロスは「オデュッセイア」の中で、おおぐま座(→ 北斗七星)やオリオン座のような星座とプレヤデス(→ プレヤデス星団)についてのべ、航海のときに星をどのように道しるべとしてつかったらよいかをかたっている。ヘシオドスの詩「仕事と日々」は、たがやしたり、種をまいたり、収穫するのに適当な時期をしめすために、夜明け前にのぼる星座が季節によってちがうことを農民におしえている。 科学的な研究が、ギリシャの哲学者ミレトスのタレスとサモスのピタゴラスによってなされたといわれているが、彼らが書いたものはなにものこっていない。タレスが前585年5月28日の皆既日食をただしく予測したという話は、たぶんあとからつくられたものだろう。前450年ごろ、ギリシャ人は惑星の運動について有益な研究をはじめた。ピタゴラスの門人のフィロラオスは、中心火の周りを地球、太陽、月、惑星がまわっていて、中心火は地球が間にあるためにみえないのだと考えた。中心火の周りを地球は24時間かけて回転しており、それで太陽と星の毎日の動きを説明している。前370年ごろ、クニドスの天文学者エウドクソスは、観測される運動を説明するのに、球の内面に星をちりばめた巨大な球が地球の周りを1日1回転している、と仮定した。また太陽、月、惑星の運動を説明するために、さまざまに回転する透明な球にそれぞれがはめこまれていて相互につながっている、と仮定した。 もっとも独創的な古代の天体の観測者は、サモスのアリスタルコスだろう。彼は、天にみられる運動は、地球が自分の軸の周りを24時間かけて1回転し、ほかの惑星は太陽の周囲をまわっている、と考えれば説明できるとした。しかし、この説明はギリシャのほとんどの哲学者にうけいれられなかった。多くの人は、地球は大きく重く静止した球で、その周りを天体が回転している、とみなしていたからである。この理論、地球中心説(天動説)には、事実上約2000年間、手がつけられることがなかった。 前2世紀、天文学者ヒッパルコスは1080個の明るい星の位置を測定した。この観測に天の理論をむすびつけたのが、2世紀のプトレマイオスである。彼はヒッパルコスの星図を惑星の運動をはかるための背景としてつかった。エウドクソスの球をもっと融通のきく円でおきかえ、太陽、月、惑星が黄道帯をそれぞれちがう速度で東へとうごいていくようすを説明するのに、共通の中心からずれた所に地球がある円を仮定したのである。太陽、月、そして逆行もふくむ惑星の周期的な速度の変化を説明するために、第2円を仮定し、これらの天体はそれぞれ、この周転円の周囲を一定の速度でまわっている、とした。周転円の中心は第1の円上にある。それぞれの天体ごとに、2つの円運動のための直径と速度を適切にえらぶことで、観測される運動をあらわすことができた。場合によっては第3の円も必要とされた。この方法はプトレマイオスの偉大な著書「アルマゲスト」(→ プトレマイオス体系)の中でのべられており、プラトンの門人ヒュパティアが数学と天文学の話題について注釈している。彼女は最初の女性天文学者であったと考えられている。
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