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フランスの総合大学。パリおよびパリ周辺にある自治権のある複数の大学から構成される。
パリ大学の歴史は古く、12世紀半ばにさかのぼる。ノートル・ダム大聖堂の周りにあった私塾の教師や学生が研究や教育をまもるために結成したギルド(同業者組合)が自治権を獲得して成長したもので、パリ大司教が組織および教員の長となった。初期の頃に大学と関わりのあった学者には、哲学者アベラール(神学生だった)や神学者トマス・アクィナスがいる。13世紀には神学、医学、教会法、学芸の4つの学部があり、学部はさらに教師や学生の出身地にもとづいたコースにわかれていた。なお、セーヌ左岸の学校や学生の住居が集中する区域は、学生たちがもっぱら使用するラテン語にちなんでラテン区(カルティエ・ラタン)とよばれた。 14世紀までには、40の学寮(コレージュ)をもつ大学に成長した。そのうちのひとつソルボンヌ学寮は、1257年にフランスの神学者ソルボンRobert de Sorbonによって創立されたもの。もとは貧乏な神学部学生に住まいを提供する目的でつくられ、名称も「貧乏学生のためのコミュニティ」という意味をもつものだった。14世紀にはヨーロッパの神学教育の中心的存在となり、のちパリ大学神学部をさすものとなった。16世紀までに、保守的な体質と改革を拒否する姿勢のために学問も硬直化し、1530年にはこれに対抗するかたちで、フランソワ1世により人文主義の大学、コレージュ・ド・フランスが設立された。 16世紀から17世紀にかけては、国内の宗教紛争と市民戦争のため、大学の学問的評判は低下した。反面政治的な影響力はまし、宗教改革期には、カトリックの牙城(がじょう)として新教迫害の中心的役割を演じた。 1793年、フランス革命のさなかに、国民議会はフランスじゅうの大学を廃止にした。パリ大学が再開したのは1808年、ナポレオンの「帝国大学令」以降のことである。文学、法学、医学、科学、神学(のちに廃止された)の各学部がソルボンヌに設立され、ソルボンヌはパリの学問の代名詞、ひいてはパリ大学そのものの代名詞ともなった。ソルボンヌに図書館が設立されたのは08年で、今日では膨大な蔵書をほこる。現在は、文学などの人文科学が中心のパリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)がソルボンヌの伝統をついでいる。なお、ソルボンヌの名称をのこす大学としてはほかに第1大学と第3大学がある。
1968年の高等教育改革により、大学は現在、法学、哲学、政治学などのパリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)、文学などの人文科学中心のパリ第3大学(新ソルボンヌ)とパリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)、医学中心のパリ第5大学(ルネ・デカルト)など、10あまりの自治権のある大学にわかれている。そのほか、関連組織として、エコール・ド・ボザール(美術学校)、コレージュ・ド・フランス(一般教養)のほか、いくつかの専門施設があり、運営面では大学から独立しているが、大学と一致する課程を履修した学生に対しては、大学から学位が授与される。 大学図書館の蔵書は、ソルボンヌの蔵書もふくめると数百万にのぼり、貴重な原稿やインクナブラ(初期刊本)、古地図なども多くある。
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