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18歳の男子に兵役義務が課せられ、兵役拒否はみとめられていない。徴兵期間は兵種に応じて12~15カ月。2004年の兵力は陸軍が11万人、海軍は1万9250人、空軍は2万3000人。1978年以降、女性も、一部でうけいれられている。
ギリシャは国際連合、ヨーロッパ委員会、OECD(経済協力開発機構)の設立時からのメンバーである。1972年にはNATO(北大西洋条約機構)、75年には全欧安保協議会(現在のヨーロッパ安全保障協力機構)に加盟した。81年、EC(ヨーロッパ共同体。現EU)に加盟。92年にはEU(ヨーロッパ連合)の防衛組織であるWEU(西欧同盟)の10番目のメンバーとなった。
ギリシャ本土は新石器時代以来、エーゲ海の諸島と小アジアの西岸部と文化的につながり、同質の海洋性文化を発展させたが、政治的統一にはいたらなかった。ギリシャ本土は山脈と渓谷によって政治的、経済的に独立した多数の地域に分断され、これらの各地域は都市より多少大きいくらいの規模でしかなかった。有名な都市のくわしい歴史については、アテネ:コリントス:スパルタ:テーベ参照。
考古学によると、前4000年以前の新石器時代に北アフリカとほぼ同族の民族がエーゲ海南部の地域に定住しており、ギリシャでの石器時代から青銅器時代への文化的発展は前3000年ごろにはじまったとされ、エーゲ文明に発展していった。この青銅器文明は2つに大別される。ひとつはクレタ島のミノス文明、もうひとつはギリシャ本土、とくにペロポネソス半島で開花したヘラディック文明(ミュケナイ文明はその最終段階のもの)で、前1500年を境にヘラディック文明が優勢となる。この文明の担い手は、ギリシャ人の祖先で、前3000年末ごろドナウ川流域から移住してきたアカイア人である。
前1400年までにアカイア人はクレタ島にも進出し、ミュケナイを中心に本土で有力になった。考古学上、最大の遺跡が発掘されたミュケナイのほかにも、ペロポネソスのピュロス、ティリュンスにも遺跡がある。彼らの社会はホメロスの叙事詩「イーリアス」にえがかれた社会に近く、王政であった。前1200年ごろのトロイア戦争などにより、この文明は衰退にむかった。 その後エペイロスの山地にすんでいたドリス人は、鉄の武器をもちいて先住民を征服しながらクレタやペロポネソスにすすみ、ペロポネソス半島に居住した。アカイア人たちはヘイロータイとよばれる隷属農民となった者もいたが、エーゲ海の島伝いに小アジアに移住した者もいた。ドリス人も小アジアまですすんだため、この地域はギリシャの政治的・文化的領域にくみこまれた。 数世紀後の前750~前550年になると大移民がはじまり、黒海の東岸からシチリアや南イタリア、現在のマルセイユにいたる広範域に植民市がつくられる。シチリアと南イタリアには多数のギリシャ人が居住したため、この地域はマグナ・グラエキア(ラテン語で「大ギリシャ」の意)とよばれるようになった。
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