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項目構成
ロマン主義者たちは、個人の独自性を尊重する見方を国家や民族に広げた。彼らは、人類を普遍的な観点からとらえることよりも、個々の国家や民族がもつ独自の歴史や特徴に目をむけたのである。ナポレオン戦争における国民意識の高揚をきっかけに、グリム兄弟がおこなったような民話や民間伝承の採集と研究、各民族言語の使用、スコットらの歴史小説の創作、ロマンスやバラードなどの中世の文学作品の再評価が盛んになる。 このような各国民文化の源泉に対する熱心な探求は、ロマン主義独自の歴史観も大きな役割をはたしている。啓蒙主義が、つねに社会はよりよき方向にむかい、過去は現在におとるとする進歩史観をとなえたのに対し、ロマン主義は、過去、とりわけ中世を高く評価し、近代化された現代は堕落した状態にあると考えた。このような歴史観は、一方では現実逃避という否定的な側面をもつと同時に、一方ではドイツのヘルダーの研究にみられるように、過去の時代の独自性を相対的な観点から評価することを可能にした。
19世紀も半ばをすぎると、リアリズムと自然主義が台頭し、ロマン主義は大きな文学潮流としては表舞台から姿をけす。しかし、ロマン主義のいくつかの要素は、のちの象徴主義、シュルレアリスムにうけつがれることになる。一方では、ロマン主義は、近代世界そのものにもきえることのない刻印をのこしている。たとえば、無意識の発見はのちのフロイトの精神分析学として結実し(→ 精神分析の「無意識の発見」)、国民意識の覚醒は現代のナショナリズムのもととなったのである。
ヨーロッパのロマン主義に該当するような日本の文学運動は、「浪漫主義」とよばれ、1890~1900年代(明治中期)に生じた。森鴎外と嵯峨の屋お室を先駆者として、1893年(明治26)創刊の「文学界」において日本の浪漫主義が確立される。その中心人物は北村透谷である。彼は、ヨーロッパの文学やキリスト教から直接影響をうけ、情熱的な評論や恋愛至上主義的な詩において、個の尊厳と自由をうったえた。透谷の死後は、島崎藤村の抒情的な詩が「文学界」の浪漫主義をひきつぐ。 ついで1900年代に浪漫主義の中心となり、より芸術至上的な傾向をしめしたのが、与謝野鉄幹が主宰した詩歌中心の雑誌「明星」である。なかでも与謝野晶子は、奔放な想像力とはげしい情熱をたたえた詩を書いて、「明星」の浪漫主義を代表した。エゴイズムを肯定して個人主義的な思想をとなえた高山樗牛、神秘的な幻想小説を書いた1890年代末から1900年代にかけての泉鏡花も、この時期の浪漫主義の一面をしめす。 浪漫主義はやがて自然主義にとってかわられるが、耽美の追求という要素は、のちに自然主義の反動として生まれた1910年代の耽美主義にうけつがれた。ただし、耽美主義は、もっぱら人工的な美の享楽のみを重視した点で、先行する浪漫主義とことなる。耽美主義の代表者は、「スバル」「三田文学」を本拠にした森鴎外、上田敏、北原白秋、木下杢太郎、永井荷風、谷崎潤一郎、佐藤春夫らである。
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