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ラモー,J.P.

ラモー Jean-Philippe Rameau
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

1683~1764 フランスの作曲家、音楽理論家。18世紀フランス最大の作曲家で、理論家としても後世に多大な影響をあたえた。

1683年9月25日、ディジョン生まれ。父は同地のオルガン奏者。18歳のときにイタリアを旅してまわり、帰国後はフランスのいくつかの都市でオルガン奏者をつとめる。なかでも、クレルモンフェランでは1702~06年にオルガン奏者をつとめた。15~22年ふたたび同地にとどまり、「和声論」(1722)を執筆。23年パリにいき、クラブサン(ハープシコード)と音楽理論をおしえて生計をたてる。初期の作品には、軽い劇場作品、宗教作品、クラブサン作品がある。31年に裕福な音楽愛好家ラ・ププリニエールの私設楽団の音楽監督に就任。邸宅における音楽の一切をまかされる。この庇護のおかげでオペラの作曲にとりくめるようになる。

II

オペラの傑作

ラモーの約30作のオペラの中には、フランス語のオペラの傑作が多数ふくまれる。たとえば、悲劇の「イポリトとアリシー」(1733)、「カストルとポリュクス」(1737)、「ダルダニュス」(1739、44改訂)、「ゾロアストル」(1749)、オペラ・バレエの「優雅なインドの国々」(1735)、「エベの祭」(1739)、「ナバールの王女」(1745)、喜劇の「プラテ」(1745)がある。彼のオーケストレーションは力強く革新的で、劇的な効果の高い和声がもちいられている。

「クラブサン合奏曲集」(1741)は、2台のバイオリンとクラブサンのための作品であり、クラブサンのパートを伴奏ではなく、独立した声部としてあつかった初期の作例である。

III

音楽理論書「和声論」

彼の音楽理論書「和声論」は、100年前からの和声の実践論を体系的に論じるほか、ヨーロッパ和声の基盤として1900年ごろまで存続しつづけた理論上の概念を詳解している。1764年9月12日、パリで死去。

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