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豊富な天然資源と肥沃な農地にめぐまれたウクライナは、1991年にソビエト連邦(ソ連)が消滅したのちも、旧ソ連時代からの汚染という後遺症になやまされている。火力発電所や都市を発生源とする大気汚染が深刻であり、地方では地下資源の採掘による環境破壊がすすんでいる。河川や湖沼の水質汚濁もひどく、飲用可能な水の確保は容易でない。また86年にはチェルノブイリの原子力発電所で大事故が発生し、ウクライナは世界の注目をあつめた。 チェルノブイリ事故では、国土の10%が放射能汚染の被害をうけ、少なくとも2%がきわめて高レベルの放射能に汚染された。10万人以上の人々が移住を強いられ、農産物は汚染のため食用にできず、農業はほとんど放棄せざるをえなかった。放射能による健康への被害をじかにうけたのは、事故直後の処理にたずさわった数百人だけだったが、国民全体への長期的な被害がしだいに明らかになっている。たとえば、子供の甲状腺癌などである。今後も数十年間は危険な状態がつづくと考えられている。とくに高レベルの汚染地域は、ほとんどが現在も居住不能である。住民が退去した地域では、人間の活動がほぼ全面的に停止したため、皮肉にも多くの野生生物が繁茂、増殖している。 ウクライナは、国土の15.9%(2005年推計)が森林である。環境保護のため、国立公園数カ所のほか、多数の特別地域や狩猟地が設定されている。湿地保全を目的とするラムサール条約にもとづき、何カ所もの湿地帯が保護されている。さらに、ユネスコの「人間と生物圏計画」にもとづく生物圏保護地区が3カ所ある。これらを合計すると、国土の3.4%(2007年)がなんらかの保護指定をうけていることになる。
国家元首は任期5年の大統領で、直接選挙によってえらばれ、2期までの再選が可能である。立法をになう議会は一院制の最高会議で、定数は450名。直接選挙によってえらばれ、任期は5年。 大統領と議会の権限をめぐっては変遷があったが、2004年12月の憲法改正(発効は2006年1月)により、首相と内閣を大統領が議会の承認をえて任命する方式から、首相と外相、国防相については、大統領の提案にもとづき議会が任命、その他の閣僚は、首相の提案で議会が任命することになった。州政府の長は、内閣の提案にもとづき大統領が任命する。この改正は、大統領は外交と安全保障に専念し内政は首相がになう、また議会と地方政府の役割を高めるという理念にもとづいていた。 議会には多くの政党が乱立しているが、2001年に当時のクチマ大統領に対抗する政党連合として結成された、ユシチェンコ(現大統領)を中心とする「われらのウクライナ」、04年の大統領選挙でユシチェンコにやぶれたヤヌコビッチがひきいる地域党、ユシチェンコとともにクチマ体制をたおしながら袂(たもと)をわかったティモシェンコがひきいるティモシェンコ連合が三大勢力。ほかに、1990年代に第1党だった共産党、さらに社会党などがある。
初期のウクライナ史はロシア史の重要な一部でもある。キエフは11~12世紀にキエフ・ロシア(キエフスカヤ・ルーシ)の首都で、今なお「ルーシ諸都市の母」とされている。13世紀にウクライナの地はタタール・モンゴルの支配下に入ったが、西部のガリチアはその支配をまぬがれ、14世紀にポーランド領となった。同じころキエフおよびボルイニ地方は、のちにポーランド領となるリトアニアに併合された。
ポーランドおよびリトアニアの支配に屈せず形成された集団が逃亡農民を中心としたウクライナ・コサックであり、彼らは17世紀にロシアと同盟をむすんだ。ドニエプル川以東の地がロシア領となったのは1667年のことであり、ガリチア地方をのぞくドニエプル川以西がロシア領となったのは1793年のポーランド分割(→ポーランドの「ポーランド分割」)時である。第1次世界大戦(1914~18年)中、1917年のロシア革命にひきつづき、ウクライナは独立を宣言したが、ソビエト軍によって粉砕された。
この間、ガリチア、ブコビナ、カルパティア・ウクライナ地方のウクライナ人はオーストリアの支配下におかれるが、民族的アイデンティティをうしなうことなく、民族運動を活発にくり広げ、1918年には東ガリチアに独立国を建国した。しかし、パリ平和会議により東ガリチアはポーランドの保護領となり、ペトリューラひきいるウクライナ政府はポーランドと交戦するが敗北した。こうしてガリチアはポーランド領のままで、東のウクライナ本国地域にはソビエト政権が樹立された。20年には、ロシアのボリシェビキ政権(→ ボリシェビズム)の侵攻にあい、ウクライナ・ソビエト共和国は22年、ソビエト連邦(ソ連)の一部となった。 1922~39年は、ソ連がウクライナ・ナショナリズムを抑圧した時代だった。とくにスターリンによる「上からの革命」の打撃は大きく、強制的な農業集団化と穀物徴収は32~33年の大飢饉(ききん)をまねき、700万人以上もの死者を出した。 1939年9月、ソ連軍がポーランド領ガリチアを占領し、約6万2160km²の地がウクライナ・ソビエト共和国に併合された。第2次世界大戦中の41年、ドイツ軍がウクライナに侵攻すると、ウクライナ・ナショナリストはドイツの占領下でソ連からの独立を宣言したが、ドイツ軍はロシア領ウクライナとガリチア地方を分離させ、ウクライナ・ナショナリストと対立し、この独立をみとめなかった。ウクライナは44年にふたたびソ連邦にくみいれられた。45年にウクライナはソ連邦に属しながらも国連の創設メンバーとなり、54年にはクリミア半島がロシア領からウクライナ領に編入された。91年のソ連崩壊により、ウクライナは独立国となった。
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