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Windows Live® の検索結果 旧約聖書にえがかれた人類の祖となる男女。人類の創造についての記述は「創世記」の1章26~27節と2章18~24節の2カ所にある。両者の記述には語彙(ごい)、思想、スタイルにいちじるしい相違がみられることから、この創造の物語には2つのことなる出典があるという点で学者の意見は一致している(→ 聖書)。最初の記述では、ヘブライ語の普通名詞「アダム」が性別に関係なく、人間を総称する言葉としてつかわれており、イブのことにはまったくふれられていない。2番目の記述では、神により、アダムは土(ヘブライ語のアダマ)の塵(ちり)からつくられ、イブはアダムのあばら骨からつくられて、妻としてアダムにあたえられたとされている。 19世紀になるまで、人間をふくむすべての種は、神が直接創造した原初の一対を祖先とすると一般に考えられていた。この点で、アダムとイブの物語は古代オリエントをはじめとするさまざまな地域の神話と細部がことなるだけである。たとえば、前2000年ごろに書かれたギルガメシュ叙事詩のような古代メソポタミアの原典にも同様のモチーフがみられる。 しかし、ある点で、アダムとイブの物語は独特である。「創世記」の初めの数章にはかなりの編集の手がくわえられ、人類の始まりを率直にかたる物語が、男女の相互の関係や環境とのかかわりをより深く探究したものになっている。 このことは、2章18~24節に、女は男と別につくられたというテーマが導入されていることにも明らかで、ここではとりわけ男女の相互の補完性が論じられている。また、この物語を利用して、世界の不完全さの原因を人間のあやまちにもとめていく方法にも、解説をくわえようという意図が感じられる。地がその果実をじゅうぶんにあたえず(3章17~19節)、女の社会的地位が男のそれよりもおとるようになった(3章16節)のは、神への最初の不服従の結果だというのである。キリスト教の解釈では、伝統的にこの部分を原罪の教義にむすびつけてきた。 人類の起源の物語に倫理的な面が浸透していることから、聖書の物語は宗教的な古典であるとされる。しかし19世紀に、聖書学のひとつとして聖書各書の文学的・歴史的な研究をする学問(上層批評)が生まれるまでは、この物語は史実と考えられていた。保守的な人々は今なお、これを史実そのものとする見方をとっている。彼らにとって、神の啓示によって聖書が生まれたということは、聖書の記述のすべてを文字どおりの事実としてうけいれなければならないことを意味する。 しかし、今日の聖書学者の多くはアダムとイブの物語を物語そのものとしてうけいれている。この物語はほかの古代の民族の神話と共通する面もかなりあるが、同時に独特な部分もそなえた、人類の起源についてのヘブライの物語である。このような認識は、聖書の物語の価値を減じるどころか、古代ヘブライ宗教の独特の要素を際だたせる。
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