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Windows Live® の検索結果 688頃~741 フランク王国を構成する3つの分国のひとつアウストラシア(東北フランスと南西ドイツ)の宮宰。マルテルは槌(つち)という意味。フランク王国を支配していたメロビング朝の末期にあって、父ピピン2世はカールの誕生の直前、全フランク王国の宮宰の地位についていた。カールは、父と愛人の間の子だったために、父の死後(714)正妻によって幽閉された。715年に脱走したのち、アウストラシアの宮宰にむかえられた。 メロビング家の王族たちが相あらそう中で、720年ごろにはカールは実質的にフランク王国全体を支配するようになり、ザクセン、フリーゼン、バイエルンなどに遠征して支配領域を拡大した。 8世紀の初め、イスラム教徒はジブラルタル海峡をわたってイベリア半島にはいり西ゴート王国をほろぼしていたが、さらに北上し、732年にはフランス中部にまで到達した。カール・マルテルはこれをむかえうって撃退し(トゥール・ポワティエの戦)、739年にイスラム教徒がふたたびフランス中部にきたときもしりぞけて、西ヨーロッパにおけるイスラムの拡大を阻止した。→ カロリング朝
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