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    ロンドン ( 英語: London )は、 イギリス および イングランド の 首都 である。 ニューヨーク 、 東京 、 パリ と並びトップ水準の 世界都市 とされる。漢字による 当て字 は「 倫敦 」が多いが、明治期には「龍動」と記載する例もあった。 [1]

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ロンドン

ロンドン London
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

イギリスの首都。イングランド南東部、テムズ川下流部沿いに位置する。国際的な金融・保険・海運の拠点、世界の政治・文化の中心地で、東京、ニューヨークとならぶ世界3大都市のひとつにかぞえられる。人口は717万2036人(2001年)。

II

市域と住民、行政

ロンドンは、「シティオブロンドン」あるいはたんに「シティ」とよばれる地域を発祥の地として大きく発展した都市で、このシティと周辺の32のバラ(自治区)でグレーターロンドンを構成する。グレーターロンドンのうち、シティおよび都心部の13区はインナーロンドン、その外縁部の19区はアウターロンドンとよばれる。グレーターロンドン全体を管轄する広域自治体として1965年にGLC(グレーターロンドン・カウンシル)が発足したが、86年、サッチャー政権の地方行政改革により廃止。かわって、イギリス初の公選市長(メイヤー・オブ・ロンドン)と議会(定数25)で構成されるGLA(グレーターロンドン・オーソリティ)が2000年に設置された。シティは、中世から自治組織をもち、ロード・メイヤーとよばれるロンドン市長を選出してきたが、現在では、シティの「市長」は名誉職的なものになっている。

ロンドンにはイギリス全体の人口の12%が集中し、民族構成もきわめて多様である。住民の4分の1は非白人で、カリブ系・アフリカ系の黒人や、インド、パキスタン、バングラデシュなどのアジア系が多い。1950年代以降、人口はへりつづけたが、80~90年代にドックランズ地区の再開発などの都市改造計画がすすめられた結果、人口流出傾向はおさまり、90年代後半からは急カーブで増加している。

III

経済

ロンドンの経済はイギリス経済全体の状況を反映して多様な実態をみせている。雇用者総数の内訳では、サービス業が全雇用の4分の3に達し、観光、商業、金融・保険が大きな割合を占める。次に多いのが製造業、エンジニアリングおよび関連産業で、精密機器、コンピューター、航空機、自動車、化学、衣料関連などの工業や石油精製の一大中心地である。職種の面でも専門職、技術職、管理職が多いため、労働者の平均収入は他地域にくらべて高い。

インナーロンドンは事業が地域ごとに集中している。銀行・金融業はシティ、行政機関はウェストミンスター、一流医院はハーリーストリート、紳士服のオーダーメイドはサビルロー、高級専門店はボンドストリートやオックスフォードストリートなど、教育・大学関係はブルームズベリー地区に多い。新聞社街として知られたフリートストリートは、1980年代に各新聞社が転出したが、今もジャーナリズムの代名詞としてその名をのこしている。

工業は、サザークから東へ広がるテムズ川南岸の工業地帯でおこなわれている。ここには専門的な製品をつくる中小企業が多数立地する。一方、パークローヤルのような新しい工業地帯は、市の西部に形成されている。また航空機、コンピューター、電気機器の製造など、より高度で専門的な工業はグレーターロンドンの周縁地域でおこなわれている。西方にヒースロー空港、南郊にガトウィック空港があり、1991年には北東にスタンステッド空港が開港した。

IV

都市景観

1世紀中ごろテムズ川北岸にロンディニウムの要塞(ようさい)がローマ人によってきずかれ、およそ1000年後、ウェストミンスターに国政の中枢がおかれた。以来、この2カ所を中心にセントラルロンドンは発展した。

シティは、ローマ時代からの商取引の町で、イングランド銀行、証券取引所、ロイズをはじめ、各種銀行や保険会社が軒をならべる金融・通商の中心地である。第2次世界大戦中、ドイツ軍の爆撃によって多大な被害をうけ、その後大々的に再建されて、現在は近代的なオフィス街になっているが、東端のロンドン塔、西端のセント・ポール大聖堂や、中世以来ロンドン市政の場となってきたギルドホールなど歴史的な建造物もたっている。

シティの北部、東部に広がるイーストエンドは、倉庫、衣類の卸売業、家具や精密機器の製造で名高い。ドイツ軍の爆撃によってロンドンでもっとも大きな被害をうけ、広範囲に再建がおこなわれた。この地区には、低所得者層や旧植民地からの外国人が多く居住している。

イーストエンドの南東、タワー・ブリッジの東の地区が、かつてロンドン港の港湾施設がたちならんでいたドックランズである。19世紀に大型ドックがあいついで建設され、植民地から原料をはこび、製品を輸出する船が頻繁に出入りしていた。第2次世界大戦後、ロンドン港がテムズ川河口にうつって一時荒廃したが、1980年代からの大規模な再開発によって、倉庫群はレストランや展示施設、博物館、ホテル、居住空間などに変貌(へんぼう)した。ドックランズとシティとはドックランズ・ライト・レールウェーでむすばれ、コンピューター制御による無人運転列車がはしっている。

シティの西側は法曹地区になっている。ここはフリートストリート沿いの中世の町が発達した所で、テンプル騎士団によって建設されたテンプル(殿堂)が14世紀に法律家に使用されるようになったため、その近くにテンプル・インやリンカンズ・イン、グレーズ・インといった多くの法律学校ができた。19世紀には王立裁判所がすぐ北方に建設されている。その北がブルームズベリーで、ロンドン大学大英博物館があり、バージニア・ウルフらのブルームズベリー・グループD.H.ロレンスら文人ゆかりの地としても知られる。

テンプルからテムズ川をさかのぼった左岸は、古くからの政治の中心地ウェストミンスターで、国会議事堂やウェストミンスター寺院がある。国会議事堂からトラファルガースクエアにむかう通りホワイトホールは新旧の政府機関が集中する官庁街で、首相官邸などがあるダウニング街もこの一角にある。バッキンガム宮殿からセントジェームズパークにそってのびる並木道ザ・マルは、王室の儀式のパレードがとおる道として知られる。

ウェストミンスターの北は、ロンドンでもっともにぎやかな地域ウェストエンドである。ボンドストリート、ベーカーストリート、リージェントストリートなどの大通りは今日、ロンドンの主要なショッピング街となり、ピカデリー・サーカスをふくむソーホー地区は大歓楽街を形成して、かつてあった多くの邸宅は商店にかわっている。劇場街に近いコベント・ガーデンは、300年あまりにぎわった果物・生花・野菜卸市場が1974年にテムズ川南岸に移転したあと、17世紀の建物を生かす形で再開発がおこなわれ、市場跡は、ブティックやアンティーク・ショップ、レストランがあつまる一大ショッピングセンターとして生まれかわった。

オックスフォードストリートの北にあるメリルボーン、ユーストン、ペントンビル、シティロードといった地区は、19世紀半ばの都市開発で開かれた。パディントン、メリルボーン、ユーストン、セントパンクラス、キングズクロスなどの駅があり、西部、北部、東部へむかう列車が出ている。南部にいく場合には、ビクトリア、チャリングクロス、ウォータールー、ロンドンブリッジの各駅が利用される。

ロンドンは公園が多いことでも有名である。なかでも、バッキンガム宮殿周辺にあるセントジェームズパーク、グリーンパーク、ハイドパークや、ケンジントンガーデンが知られている。北にはリージェントパークが、テムズ川上流にはリッチモンドパーク、王立植物園として有名なキュー・ガーデン、ブシーパークがある。また、王立海軍兵学校と旧王立天文台の周りにはグリニッジパークが広がり、ハムステッドヒースや、北側からロンドンを眺望できるパーラメントヒルフィールズもある。

「のみの市」はロンドン名物であり、高価な骨董品(こっとうひん)から古着まで、あらゆる物が売られている。大きい市のひとつに、リージェントパークの北側にあるカムデンロック・マーケットがあげられる。イーストエンドにはペティコートレーン・マーケットがあるが、この名称はかつて商品のほとんどが女性の下着(ペティコート)だったことに由来する。ノースケンジントンのポートベロ・マーケットでは、平日に果物や野菜を、週末には骨董品などがならべられている。

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